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念願の四国遍路の旅立ちの日がようやく来た。 旅先の宿を野宿にするか、旅館にするか大いに迷ったが、重量の点から野宿は断念した。 それでも何があるかわからないのでシュラフだけリュックに入れた。 家を出発するとき家族のものが見送ってくれる。 空は快晴、気持ちがいい。 なんか訳もわからずに、これは「旅行ではない、旅だ」なんて思ったりしている。 |
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9:00 |
南海のターミナルから徳島行きの高速バスに乗る。 3時間で徳島駅に着く。駅そばの食堂で昼食をとる。 |
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13:30 | JR板東駅着。 | |||||||||
14:00 |
この寺の名はここを訪れた空海がインドで釈迦如来が説法をしている光景を連想、インドの霊山を日本に移すという意味からこの名が付いたという。 ここで遍路に必要な道具を購入する。といっても2年前に車で一度回っているので菅笠と杖に掛け軸の3点だ。 1番から2番に向けて歩いていると道端のコスモスが満開だ。
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14:30 |
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15:20 |
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16:00 |
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16:53 |
5番からお宿の寿食堂へ向かって歩いていると「安部さんが亡くなった」と家から電話が架かって来た。 なんで?「山」を教えてくれ山に興味を持たせてくれ、多くの山に連れて行ってくれた人だ。 また、歩いていると「お遍路さーん」「今夜食べてください」と三つも柿を御接待される。 |
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17:54 |
今夜の宿舎寿食堂の前まで来ると、映画のロケをやっている。なにか、遍路が題材の映画だろうか。 部屋に案内されて荷物の整理をしていると「もう一度ご協力をお願いしマース」と大声がかかるので「なにをー」と聞き返したら「シーッ 」と怒る。 要するに黙っていてくれということなのだ。 たぶん最初にロケ中静かにしてくれという説明があったのだろうけれど、ワタクシはそんなことは知らない。 今着いたばかりなのだ。 道理で店の前の道路では、通行中の車まで止められていた。 雑音が映画の中に入るのを防いでいるのだ。 夜9時ころまた家からの電話で「大前さんの妹さんが死んだ」とのこと。 この遍路に発心したその日に知り合いが二人も亡くなるとは・・・。なにか、因縁を感じる。 |
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H15 (2003).10.27(月)・・第2日目(はれ)・・23Km(35,000P)・・6番〜10番 「返送」 |
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6:00 |
昨夜は眠れなかった。機械に巻き込まれて身動きがとれずにうなされている夢を見た。 チャップリンの映画ではないが今まで会社生活の中でひとつのレールの上を機械的に強制的に歩かされてきたことの夢だろうか。 |
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7:30 | 「民宿寿食堂」(板野郡上板町)をスタートする。 | |||||||||
8:10 |
いつまでたってもお経は覚えられない。団体さんは暗誦できているので、立派なもんだ。 この寺の宿坊では長寿湯としてラジウム鉱石や薬草を湯船に入れて遍路の疲れを癒してくれる。 |
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8:45 |
入れてもらうとお茶を振舞われみかんやヤクルトやらをいただく。「越久田さん」という方だ。 −ーー暑いーーー |
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10:45 |
この寺の山門は木造では最大級で13.2Mもある。 境内では掃除しているおばさんが「歩き遍路さんですか?お昼はうどん亭へ行くといいですよ」とうどん亭を紹介してくれた。
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11:32 |
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13:00 |
足にマメが出来てきた。テーピングをする。 |
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14:00 |
熊谷寺で紹介されたうどん亭で昼食をする。 今夜のお宿さくら旅館へ歩いていると男子の高校生に「こんにちはー」と挨拶される。 高校生からの挨拶はなかなかすがすがしく気持ちがいい、感心する。
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17:00 |
荷物が重いので肩が痛い、シュラフを家に返送する。 夕食時何人かの同宿者といろいろ話し合う。 |
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H15 (2003).10.28(火)・・第3日目(はれ)・・18.2Km(23,257P)・・11番12番 「へんろころがし」 |
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6:00 | 目覚め。 | |||||||||
7:10 | 「さくら旅館」(麻績郡鴨島町)をスタート。 | |||||||||
7:50 |
名前のとおり5月の藤の花が見事だ、と。 88ヶ所の寺の名は「○○ジ」と読むがこの寺だけは「藤井デラ」と読む。 ここから焼山寺に向けて遍路ころがしに入る。 入ってすぐには1番から88番までの札所のお地蔵さんが並んでいる。 この直後から厳しいのぼり道。
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13:07 |
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13:56 | 焼山寺をスタート。 | |||||||||
15:14 |
築五年の新しいおやど、お風呂がよかったね。 夕食後、トイレで初めての人が 「藤井寺を11時に出て焼山寺に16時に着いた、ムリと言われながら5時間で着いた。」 と聞いてもいないのに話しかけてきた。 あの苦しい道を乗り切ったことを誰かに話したかったのだろう、聞いてほしかったのだろう。 「1に焼山、2にお鶴、3に太龍、へんろころがし」といわれるだけあってさすがにこたえた。 |
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H15 (2003).10.29(水)・・第4日目(はれ)・・31.7Km(33,000P)・・13番〜17番 「通過」 |
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5:45 | 一番鳥のコケコッコーで目覚める。 | |||||||||
6:30 | 朝食。 | |||||||||
7:00 |
最初の40分間は峠までが急登だが、あとは徳島市の市街地に鮎喰川に沿って下っていくのでまあまあの感じ。 ただし、昨日からの疲れで足にマメが出来ている。テーピングする。 何か考え事をしていたのか、13番大日寺を通り過ぎてしまった。前後1時間はロスした。 |
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12:25 |
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13:33 |
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14:15 |
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15:00 |
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16:00 |
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?:? | 「民宿松本屋」(徳島市)着。 | |||||||||
H15 (2003).10.30(木)・・第5日目(はれ)・・32.0Km(45,000P)・・18番〜19番 「お接待」 |
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6:15 | 起床。 | |||||||||
7:10 |
国道を歩いていると道は果たしてこれでいいのかな?と不安になる。 車ばかりでなかなか人間に会わない。 ようやく出会えた人に道を尋ねたら親切に教えてくれた。こんなことでも涙が出そうになる。 |
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9:00 |
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12:00 |
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13:00 |
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14:48 | 鶴林寺手前4Kmの峠の茶屋でうどんの昼食。 | |||||||||
16:20 | 「民宿金子や」(勝浦郡勝浦町)着。 | |||||||||
H15 (2003).10.31(金)・・第6日目(はれ)・・22.2Km(33,000P)・・20番〜22番 「ハス」 |
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5:35 |
目覚め。昨日夕食に刺身が出たが、そのツマに穴が沢山ある野菜がついていた。「これはなに?」と聞いたら「ハスです。 こちらではこれを付けることになってます。」と。 このあたりでは刺身のツマは大根ではなくハスなのだ。 |
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7:15 | 「民宿金子や」(勝浦郡勝浦町)スタート。 | |||||||||
9:11 |
登りつめたら、バスの団体で廻っているお遍路さんの一団から女性が一人ワタクシに近寄ってきて 「わたしも1番から10番まで歩いたことがあるけれど、それはもう大変でした。 あなたもがんばってください。」とアメ玉をお接待してくれた。 お遍路さんからお接待されるのは初めてだ。
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11:50 |
強烈な6.5Kmだった。 途中富山から来たという野宿へんろさん「野宿で逆打ちしている。 これから2Kmがキビシイぞ」と言っていたが、まさにその通り。全身汗だらけ。 「昨日の朝は野宿していて犬に顔をなめられて目が覚めた。」なんて言っている。 逆打ちはキビシイと言われているのにそれを野宿でやるとは・・・。すごい男がいたもんだ。 太龍寺ではあまり暑いので裸になって、握り飯を食べていたら、団体を案内している先達さんが 「歩き遍路ですか?いつから発ったのですか?どこから来たのですか?」 とかいろいろ話しかけてきて、最後に「お接待です」と大枚千円も接待してくれた。 21番から22番までが長い。途中高知から来ている、という野宿さんは「農園で使う四輪車に沢山の荷物を積んで歩いている。 まあ、コーヒーでも飲んでいけや。車では何度も廻っているがやはり遍路は歩かんとなあ」と。 かなり疲れているのでお言葉に甘えコーヒ−をいただく。 こんな遍路にあこがれる。 22番まであと3.5Km位のところで遍路道が分かれていて、わかりにくいので近くの畑の奥さんに道を尋ねたら親切に教えてくれ、 その上お接待にジュースをくれた。 しばらくするとノラ犬がついて来るので、先ほどのジュースを舐めさせたりしたら桃太郎の話を思い出させるようにドンドン案内するように付いて来る。 誰もいないところでの一人歩き、いい友が出来た。 |
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16:15 |
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16:45 | 寺の前の「民宿山茶花」(阿南市新野町)に投宿。 | |||||||||
H15 (2003).11.1(土)・・第7日目(はれ)・・43.8Km(60,000P)・・23番 「肩痛」 |
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6:30 |
どれだけ飲んだだろう。話し相手とウマが合うとつい飲んでしまう。 彼女は「12月4日までには結願したい、今日で4日目だ」と言っていた。 この女性もスゴイ健脚、昨日は道を間違えてあのキビシイ太龍寺を二度も上り下りしたらしい。 今朝は5時頃宿を出て行った。エライもんだ。 |
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7:40 |
ただひたすら国道55号を歩く。途中犬がうずくまっている。交通事故で車にでも轢かれたのだろう。かわいそうに・・・。 |
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13:40 |
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?:? |
よく歩いた。とても疲れた。肩が痛い。強烈に痛い。死ぬほど痛い。 無理してずいぶん歩いた、リュックが重かったのだろう。いらない荷物をリュックとともにまた返送する。 宿の前のスーパーで安物の小さなリュックを買う。明日からは身軽で行こうと決心する。 夕食時、札幌の大畑さんが着いた。民宿あずまでは我々二人だけの泊まりだ。 肩があまりにも痛いのでおかみさんに「肩が痛い、痛い」と訴えると親切に湿布を貼ってくれた上に「帰れ、帰れ。帰ったほうがいいよ。」と言ってくれる。 |
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H15 (2003).11.2(日)・・第8日目(はれ)・・29Km(43,000P) ・・寺なし 「修行の道場」 |
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7:50 |
いよいよ修業の道場だ。 これから室戸岬までエンエンと海岸沿いが続くのだろう。カタがイタイ。 国道55号線をエンエンと歩く。 海部町で昼食。カタが痛い。 愛宕山のあたりダイバー・サーファー・釣り人等海の遊び人が大勢いる。
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15:30 |
ほかに4人のグループが泊まっている。うち一人は足が痛いのかビッコを引いている。よほどの痛さのようだ。 この頃からだろうか?へんろにいろんな傷害・障害が出てくるのは・・・。 |
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H15(2003).11.3(月)・・第9日目(あめ)・・29.3Km(43,000P)・・寺なし 「激痛」 |
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6:00 |
とはいえイタイ。横になると特に痛さが増す。いつになったらこの痛みは取れるのか? |
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7:00 | 「まるたや旅館」(安芸郡東洋町)スタート。 | |||||||||
11:50 |
ドライブイン「夫婦岩」で昼食。 朝からズーッとあめ。 |
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14:30 |
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?:? | 最御崎寺手前「民宿ロッヂ室戸岬」(室戸市室戸岬町)に投宿。 | |||||||||
18:30 | 就寝するも肩痛ヒドク寝られない。明日はどこかの医者に飛び込もう。 | |||||||||
20:30 | 激痛・激痛。 |
H15(2003).11.4(火)・・第10日目(はれ)・・47.4Km(66,000P)・・24番〜26番 「対話」 |
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6:30 | 起床。 | ||||
8:00 |
「民宿ロッヂ室戸岬」(室戸市室戸岬町)をスタート。 ここの若主人がやはり肩が痛い病気で手術したことがあるらしく、肩痛にかかわる色んなことを教えてくれた。
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9:15 |
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10:15 |
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12:00 |
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14:00 |
すごい坂の上り道。歩きながら、弘法大師との対話。 ワタクシ「11月の1日・2日・3日の三晩は肩痛で参りました。」 大師「それが修行というもんじゃ。」 ワタクシ「でも、ちょっとひどすぎるのでは・・・?」 大師「今までの悪行の報いだ、その人その人に応じた報いの修行を与えている。今まで重ねてきた悪行を思い出すが良い。」 ワタクシ「この修行を乗り越えればあとは楽なのですね。」 大師「その通り。悪行をまたやってしまったら、また四国遍路に来ると良い。」・・・ |
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?:? |
「民宿浜吉屋」(安芸郡安田町)に投宿。 注射を打ってもらって元気が出た。遅れを取り戻そうと今日はずいぶん歩いた。 |
H15(2003).11.5(水)・・第11日目(くもり後あめ)・・38Km(55,000P)・・27番 「お経男」 |
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5:30 |
起床。 せんべい布団1枚の夜だった。これも修行と我慢した。 それよりも今朝は4時から隣の部屋の61歳の男、大きな声でお経をあげてくれるではないか!せっかく肩の痛みがやわらぎユックリ寝かせてもらおうと思っているのに・・・。参るね、これも修行? |
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6:50 | 「民宿浜吉屋」(安芸郡安田町)を空身でスタート。 | ||||
7:48 |
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9:00 | 「民宿浜吉屋」帰着。同時リュックを担いでスタート。 | ||||
10:00 |
途中のDIYで防水スプレーを買って雨具に吹き付ける。 大丈夫と信じていたゴアテックスの雨具が先日の雨ではビッショリ濡れて「なにがゴアだ!」と怒りたい気分だったので・・・。 国道歩きでつらいけれど南国調の風景に心和む大山岬を進む。 |
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13:00 |
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15:00 | また雨が降ってきた。先ほど吹き付けた防水スプレーの効果は最初のうちだけ、すぐ濡れてくる。 | ||||
?:? | 「旅館かとり」(香美郡野市町)に投宿。今朝の「4時からお経男」が先着していた。 |
H15(2003).11.6(木)・・第12日目(あめ)・・27.3Km(40,000P)・・28番、29番、30番 「暑い」 |
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7:35 |
「旅館かとり」(香美郡野市町)。 午前中、雨が降るとの天気予報なのに降ってないので喜んでいたら、やはり当たって降ってきた。その上、暑い、ムシ暑い。カッパを着てるとよけい暑い。肩も痛い。 |
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8:40 |
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11:30 |
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14:20 |
雨の中30番善楽寺着。 ここは神仏混交の名残で土佐神社と同居している。
地図を書いてくれたのに分からなくて道に迷い余計疲れた。 途中野宿へんろの若者に会った。久しぶりのお遍路さんでお互いなんだかんだ話し合った。 |
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16:20 | 「ビジネスホテル空港」(高知市高須町)着。 |
H15(2003).11.7(金)・・13日目(はれ)・・33.2Km(47,482P)・・31番〜34番 「追っかけ接待」 |
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5:45 | 起床。昨日から高知市入りした。チンチン電車が走っていた。 | ||||
7:10 |
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8:10 |
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10:05 |
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11:30頃 | 渡し場そばのマリン病院前で、竹林寺の檀家の奥さんが息を切らしながら走って追っかけてきて「お接待です。」と300円くれた。 走ってまで・・・!。 |
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12:10 |
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12:40 |
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14:40 |
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16:40 |
「喜久屋旅館」(土佐市高岡)着。 疲れた。札幌の女性大畑さんが昨日泊まった、と。大畑さんとは7日目11月1日に「山茶花」で意気投合した女性だ。 彼女の早足はものすごい。もう丸1日の差がついている。 |
H15(2003).11.8(土)・・14日目(はれ)・・40.9Km(55,000P)・・35番・36番 「空身」 |
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7:00 |
「喜久屋旅館」(土佐市高岡)スタート。 空身でブンタン・みかん畑を登る、またまた汗だくの山登り。海抜400Mの位置にあるそうな。 |
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7:45 | 35番清滝寺。 このお寺では納経時にお接待にボールペンを頂いた。 宇佐大橋のたもとのドライブイブイン大橋で昼飯、ここに荷物を預かってもらい空身で36番へ往復。大橋をわたり海岸沿いを歩くと、
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12:10 |
36番青龍寺。 急な石段に団体さんがフーフー言っている。
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?:? |
結構無理して随分歩いたね。あまり無理しないほうが良い。 夕食のとき、「選挙管理委員会からお知らせします。明日は衆議員の選挙日です。そろって選挙に行きましょう!」 と町内放送で呼びかけている。 お遍路していると、世間の動きにはトンと疎い。 新聞、テレビをほとんど見ない。関心のあるのはテレビの天気予報だけ。 |
H15(2003).11.9(日)・・第15日目(くもり)・・32Km(46,584P)・・37番 「七子峠」 |
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7:00 |
「ビジネス旅館にしむら」(須崎市大間東)をスタート。 国道56号をタダタダ歩く。トンネルがいくつかあるが非常に怖い。車とすれ違うとき、車の風圧に飛ばされそうになる。 峠を越えると須崎市とおさらば。 |
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9:15 |
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11:00 |
七子峠坂の上りにかかる。 三大遍路ころがしには入っていないが強烈な上り坂、転がり落ちそうなほどキビシイ、参ったね。 14:45、七子峠着。ここから窪川町に入る。昼食。昼食後「伊予屋」に泊まりのお願いをすると「夕食なしの素泊まりでいいか?」というので、夕飯はお宿でくつろいで食べたいから「民宿村の家」に予約する。 |
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16:00 | 「民宿村の家」(高岡郡窪川町)着。 | |||
16:20 |
37番岩本寺。往復。
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H15(2003).11.10(日)・・第16日目(あめ)・・31.5Km(49,648P)・・寺なし 「事件」 |
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7:10 |
8時過ぎ自転車の若者が雨の中、ワタクシを追い越していく。と、自転車を止めてカッパを着始めた。 「オッス!」 「こんにちわ。」 「どこから?」 「滋賀県の彦根ってとこからです。」 「エーッおれの出身地だ。」 「へー!おいくつですか?」 「62歳だ」 「エーッ!」 62歳だからといって別に 「エーッ!」はないとも思うが。
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11:30 | 雨の中を歩いていると、10日目の番「浜吉屋」で一緒だったあの「4時からお経男」がワタシを追い越していった。 | |||||
11:55 | 佐賀町「喫茶散歩道」で昼食。 | |||||
15:30 |
部屋に入ってお茶飲んで、思いのほか早く宿に着いたので、今日はゆっくり浸って疲れを取ろうとお風呂に入っていると 「ガラガラーッ」「入ってよろしいですか?」と顔をのぞかせている女性。二人いる。 こちらは一人。「入ってくるな。」とも大人気なく男らしくないと思い「ど、どうぞ!」と言ってしまった。 本当に入ってくるではないか。年のころ50歳前後と見た。どう見ても素人奥さんだ。お遍路に素人も玄人もないと思うが・・・。 ワタクシが湯船に浸かっていると、二人の女性横向いて体を洗い出した。 せっかくの眺めだからコッソリ鑑賞させていただく。なかなかいい体をしている。 いろいろ想像しながら眺めていると・・・。 「どこから来たのですか?」「ハー、奈良のほうから・・・。」 「私たちは岡山からですのよ。」 とかなんとか話しているとすっかりのぼせ上がったので、モッタイナイ気がしたが「お先に・・・。」と上がってしまった。 やはりモッタイナイ。 部屋に帰って、手帳に今日のこと等をまとめていて、「ハッ。」と気がついた。 「シマッタ。」予約していた宿は「○○○」ではなく「民宿日の出」だった。 へんろのお宿案内の本にこの二つの宿が並んでおり、ここで架けた電話番号を間違えたことに気がついた。 「○○○」の奥さんに事情を言ったら快く了承してくれた。 即、「民宿日の出」(幡多郡大方町)へ引っ越す。 しかし、どうして民宿○○○ではマロの名前を確認してくれなかったのかな? |
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18:00 |
民宿「日の出」で夕食。ビールを飲む。食事中もう一本欲しいが、食事の部屋はワタクシ一人。 廊下にビールの自動販売機が置いてあったので、ビールを買いに行き部屋へ帰ってきたら、「アレーッ!」食膳がない。 「部外者立ち入り禁止」とある厨房へ行き「膳がない」と言うと「まだ済んでなかったのですか?」だって。 食膳のようすで食事が終わったか終わっていないか分からないものかな。 息子が「すみません。親父が下げてしまったようです、おーい、親父、あやまれ。」 「終わったと思ったから下げたんや、何が悪い、わしはあやまらんぞ。」 ・・・スッタモンダ・・・ いくらなんでも、こんなお宿はないだろう。 このホームページをご覧になった方は絶対に「民宿日の出」にはお泊りにならないように。 こんなことなら最初から「○○○」でいい思いをさせてもらったほうが良かったのに・・・。 |
H15(2003).11.11(火)・・第17日目(はれ)・・31Km(40,000P)・・寺なし 「清流四万十川」 |
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7:35 | 「民宿日の出」(幡多郡大方町)昨日の問題の親父は顔を見せず、ほかの方のお見送りでスタート。 | |||
10:45 |
四万十大橋、悠々と流れる大河、この光景は人間の心を和ませる。ぜひとも残したい日本の光景だと思う。
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11:45 | 通りがかりのめしや「田子作」でうどんの昼食。 | |||
15:00 | 「安宿旅館」(土佐清水市下ノ加江)着。 | |||
18:00 |
夕食。 久しぶりにお遍路さんが大勢集まり、話がはずんだ。夫婦連れ2組、北九州から来た遍路、地元の人等みな打ち解けてしまってまた飲みすぎた。 一組の夫婦連れは夫は歩き、妻は車で伴走しているのだとか。こんな方法もあるのだ。 |
H15(2003).11.12(水)・・第18日目(はれ)・・25Km(35,500P)・・38番 「ウミガメ」 |
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7:00 |
昨夜は足が痛いと言うお遍路さんに、宿の亭主が「靴のひもを先の方はゆるめて足首のほうだけしっかり結べ。」 としつこいほど教えていたので、ワタクシもそのようにして歩く。 昨日から少し涼しくなってきたように思う。快適だ。 |
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8:40 |
大岐の浜辺を歩く。ウミガメの産卵場所だ。 以布利漁港でアメリカ・カリフォルニアの男性。「ハーイ。」「ハーイ。」 「今日は38番から着ました、39番へ向かいます。」「仏教に興味があるのですか?「ええ、修行です。」 窪津漁港で昼飯にかやくごはんとむしパンを買う。 |
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11:30 |
浜沿いの国道を歩いていると、神戸の長田から来たという夫婦連れと抜きつ抜かれつ歩き、なんとなく一緒に昼飯を食う。 名前を「礒崎さん」といって、お札をいただいた。 また、高知の海岸沿いを歩く。金剛福寺7Km手前に善根宿。 トイレ・毛布・水まで用意されているではないか。 |
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13:15 |
金剛福寺着。 先ほどの神戸の礒崎さんはここから一旦神戸に帰るのだという。写真を撮ってもらった。
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14:15 |
夕刻、横浜の夫妻が来た。 「レンタカーで高知から廻ってきた。明日は高松から帰る。四万十川の遊覧船が良かった。」と言っていた。 |
H15(2003).11.13(木)・・第19日目(はれ)・・30Km(41,153P)・・寺なし 「拝まれる」 |
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7:00 |
「民宿福田屋」(土佐清水市足摺岬)スタート。 お昼ごはんにと焼きおにぎりのお接待を受ける。このお宿は前面に海がパーッと見えて気持ちがいい。 |
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9:00 |
ジョン万次郎生誕の地。農家の奥さんがマロに向かって立ち止まり、両手を合わせて拝んでくれる。 彼女はマロに弘法大師を見ているらしいが・・・。なんだか面はゆい。 |
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10:15 | サニーマートで焼きおにぎりのお昼のおかずを購入。 | |||
11:15 | 以布利港。 | |||
12:30 |
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13:00 | また歩き遍路に会う。いま、気づいたけれどお遍路さんはみんないい顔してるね。笑顔がすばらしい。 | |||
13:30 |
国道のカーブのところで、警官がなにか取締りをしている。消防車もある。 「何の取締りですか?」「危険物、プロパンとかオイルとか、我々は引き込みで検査は消防がする。」と。「ご苦労様。」「お気をつけて・・・」 |
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14:10 | 「民宿安宿」(土佐清水市下ノ加江)着。 |
H15(2003).11.14(金)・・第20日目(はれ)・・30Km(43,107P)・・39番 「金の札」 |
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6:45 |
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10:15 | 下長谷城跡、おばあさんがしゃがみこんでお宮の境内の掃除をしている。 「ごくろうさま。」「何もお役に立つことがないので、こんなことでもさせてもらっています。」と。 |
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11:15 | 三原町役場。 | |||
14:00 |
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14:30 |
「へんくつや」(宿毛市平田町)に投宿。 この宿、お風呂が岩風呂風になっている。入り口には角度と見方によっては仏様に見える岩がある。 宿の親父は椿の種を絞って、椿油を作りビンに入れて並べている。 |
H15(2003).11.15(土)・・第21日目(あめ)・・31Km(39,001P)・・40番 「菩提の道場」 |
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6:40 | 「へんくつや」(宿毛市平田町)スタート。 | |||
9:55 |
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14:45 |
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15:25 | 「ビジネスホテルプラザ御荘」(南宇和郡御荘町)着。 |
H15(2003).11.16(日)・・第22日目(はれ)・・37Km(39,001P)・・寺なし 「ゴミ捨て場」 |
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7:30 | 「ビジネスホテルプラザ御荘」(南宇和郡御荘町)スタート。 |
10:00 | 津島町でみかんのお接待をうける。 |
10:30 |
旧松尾トンネルを15分かけて抜ける。 旧国道松尾トンネルの道は良かった。新国道トンネルは車がビュンビュン飛ばし、排ガスが充満し大変らしい。 旧国道は殆ど車が通らなかった。替わりに道端にはゴミの山でウンザリさせられたが・・・。 この「四国のへんろ道を世界遺産に」という運動があるらしいけれどこのゴミを何とかしないことにはね〜。 「祝森」からまた56号線に合流し市街地を歩くと宇和島城の麓の宇和島市内に、ここで |
?:? |
「民宿みはら」(宇和島市丸の内)に投宿。 この宿では二人連れの釣り客と同宿になった。倉敷からグレ釣りに来たと言う。グレはここまで来ないとダメだそうだ。 |
H15(2003).11.17(月)・・第23日目(はれ)・・30Km(42,684P)・・41番〜43番 「ヒゲ」 |
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7:00 |
「みはら」のおかみさん「あさは早くて7時ですよ。」と夕べから念を押されていた。 今までの宿では客の都合を聞いて朝の準備をしてくれたのに、ここでは客が宿のおかみさんに都合をあわせる。 |
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7:40 |
「民宿みはら」(宇和島市丸の内)スタート。 おかげでスタートが遅くなった。朝のほうが歩くには距離が稼げるので、こんなにスタートが遅いと損した気になる。 |
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9:45 |
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10:50 |
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14:30 |
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15:30 |
国道を歩いていて四万十ののり煎餅一袋のお接待。 このお接待、なんせ量が多すぎてなかなか食べきれない。 |
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16:30 |
「宇和パークビジネスホテル」(東宇和郡宇和町)。 家を出てから一度も剃っていないヒゲが1センチ位伸びて、邪魔に感じるようになったので風呂で剃る。 面白半分にアゴだけ残す。これもなかなかいいぞ。 |
H15(2003).11.18(火)・・第24日目(はれ)・・49.9Km(66,000P)・・寺なし 「初霜」 |
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7:15 |
寒い。歩き始めたらとても寒い。冷たい。上着の下はパンツとシャツだけ。とても寒い。 畑には霜が下りている。まもなくの冬を感じる。 足のほうは快調だ、この調子なら60Kmでも70kmでも歩けるぞと思える。(朝のうちだけ)。 午後になると毎日のことだが、あの朝の元気はどこへいったの?と自問するくらいシュンとなって足の速度が落ちる。 宇和から鳥越峠を越えると大洲市だ。 |
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10:15 | 大洲市入り。コンビニで手袋を買う。手袋をするとずいぶん暖かい。 | ||||
12:45 |
弘法大師がこの橋の下で一夜を過ごした際、あまりの寂しさに一夜が十夜に思うほど長く感じられたところからこの名が付いた。 と。 また、「橋を渡るときに杖を突くなというのは弘法大師の睡眠を邪魔するなとの戒めから」だそうな。
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15:00 | 町のおばさんに「ジュースでも買って。」と150円のお接待。 | ||||
?:? | 「高橋旅館」(上浮穴郡小田町)着 |
H15(2003).11.19(木)・・第25日目(あめ)・・35Km(51,145P)・・45番 「醍醐味」 |
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7:00 |
「急ぐことないよ、ユックリ行きなさいね」とおかみさんに言われた。 きのうは歩きすぎた。 無茶をしてはいけないと思いながらちょっと調子が良いと思うと、ついがんばり過ぎてしまう。 |
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8:24 |
三島神社、野宿に最適。この道、野宿にうってつけの感じのところが沢山ある。
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9:30 |
へんろ用の東屋に野宿へんろが休んでいる。 「こんにちわ!」「どちらから?」「福山からです。」「大きな荷物ですね〜。 何キロぐらい?」「20キロです。」で、しばらく一緒に歩いたが、なんとなんと彼の足の速いこと! 空身同然の俺の足を引き離しグングン差をつけていく。 付いていけない。恐ろしい男がいたもんだ。彼は20歳代か? |
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9:40 | 民家の前に立って托鉢をやっている奴もいた。初めて見た。 | |||
12:00 |
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13:56 |
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14:35 |
45番岩屋寺の奥の院・行場、不動明王。せり割り。
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14:38 |
45番岩屋寺着。 「東京から嫁に来て60年になる。」という近所の80歳のオバさんにみかん2個のお接待。これくらいの量がちょうどいい。袋一杯は困る。 彼女、岩屋寺の山の岩を指差して「我が家から年に数回、あの岩にお日様が当たると仏様が見える。ありがたいところに住まわせてもらっている。」と。
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15:45 |
「国民宿舎・古岩屋荘」(上浮穴郡久万町)着。 今日は44番の前に45番から逆打ちし岩屋寺の裏から登ったのは正解だった。すばらしい景色。歩きへんろだから味わえるこの醍醐味! 国民宿舎のお風呂から上がると今朝の福山の野宿へんろがお風呂へ入っていった。 「野宿ばかりでは汚いのでこんなお風呂に入れる施設は利用しているんだ。」と。 |
H15(2003).11.20(木)・・第26日目(あめ)・・33.4Km(53,000P)・・44番・46番〜49番 「たかのこ温泉」 |
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7:40 | 「古岩屋荘」(上浮穴郡久万町)雨の中スタート。 | |||
8:00 |
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10:24 |
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10:40 | 三坂峠、久万街道、快適なへんろくだり坂道。
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11:35 |
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13:00 |
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13:40 |
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15:00 |
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16:30 | 「たかのこ温泉」(松山市鷹の子町)。 |
H15(2003).11.21(金)・・第27日目(くもり)・・39Km(57,384P)・・50番〜53番 「マツタケ」 |
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7:30 |
昨日はかなりの距離を歩いたが、途中東屋・休憩所がたくさんあり、へんろ山道あり、衛門三郎の菩提所あり最高のコースだった。 また昨夜の宿は46番の住職夫人が薦めただけあって、すばらしい温泉だった。 |
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8:00 |
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8:40 |
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9:18 |
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11:40 |
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12:30 |
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15:20 | みかんのお接待、また道を間違えて1時間のロス。 | ||||
15:50 |
夕食の水炊きには大きなマツタケが入っていた。 久しぶりのマツタケ!刺身にはアワビが・・・。珍味でワタシはご満悦。宿賃も安い。 |
H15(2003).11.22(土)・・第28日目(くもり)・・39Km(51,000P)・・54番〜59番 「あせり」 |
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7:30 |
寒い、しっかり着込んで歩く。 瓦の町菊間町の浜辺とタオル・造船の町今治に入るとほどなく延命寺に着く。 |
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10:00 |
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11:00 |
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12:00 |
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13:45 |
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15:45 |
今日行けるところまで行ってからお宿を予約しようと3時を過ぎてから宿に電話をすると 「満員です」別のお宿も「満員です」と断られ 歩いているうちにお宿は取れるだろうかと不安になってくる。 あせってくる。そうなんだ、今日は連休初日で旅行客が結構いるんだ。 ・・・幸い、「ホテル橘別館」が取れた。 |
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17:00 | 「ホテル橘別館」(今治市湯の浦)着。 |
H15(2003).11.23(日)・・第29日目(くもり)・・36.6Km(48,000P)・・61番・60番 「いのしし」 |
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7:00 |
「ホテル橘別館」(今治市湯ノ浦)スタート。 国道196号を歩く。石鎚山が遠望できる。道沿いにラクダを飼っているラクダ園がある。 |
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11:00 |
山道に「時と金 かけて歩くは へんろみち この痛み この疲れこそ ありがたきかな」と ところどころ、札が木にぶら下げられている。 途中でまたあの「4時からお経男」に出会った。彼は横峰寺から降りてきたところだ。 |
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13:40 |
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15:00 |
鉄砲打ちに出会った。 「何を撃つのですか?」「いのしし。」「いのししが出るのですか?」 「仲間が撃って手負いにさせたから危険でねー、見つけて撃ってしまわないと・・・。」と。 また、べつの鉄砲うちに出会った。 この男「今日は70キロのヤツをすでに1頭やっつけた。 これからさばいてみんなで食うのだ。」と言っていた。 |
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16:20 |
香園寺宿坊着。 あさ、今晩の宿を予約したおいたので、今宵は寺の宿坊泊りとなる。 |
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18:00 |
お勤めを済ませて夕食。 今日で49日目だという東京の夫婦連れと大分の阿南さん(女の一人へんろ)と共に。 |
H15(2003).11.24(月)・・第30日目(くもり)・・36Km(55,631P)・・62番〜64番 「学生のアベックへんろ」 |
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6:20 | 香園寺宿坊をスタート。 | ||||
6:40 |
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7:30 |
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8:30 |
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11:40 |
オバさんに「お賽銭をあげましょ。」と200円もらう。別のオバさんにあめだまのお接待。 学生のアベック野宿へんろと抜きつ抜かれつ「今日で一月半だ。」と。一月半?なにして歩いてるの? |
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15:45 | 「松屋旅館」(宇摩郡土居町)着。 |
H15(2003).11.25(火)・・第31日目(はれ)・・35Km(45,532P)・・65番 「涅槃の道場」 |
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7:00 | 「松屋旅館」(宇摩郡土居町)スタート。 | |||
9:30 |
伊予三島郵便局を通り過ぎ、缶コーヒーのお接待を受けながら道を尋ね尋ね歩くと、へんろ山道に入る。 暑い、汗だくだくで登る。 |
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10:50 |
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11:30 |
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13:00 | 脇建設のへんろ休憩所。札幌の大畑さんのお札が入れてあった。彼女の足は速い。何処まで行ってるかな。 | |||
13:35 |
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15:30 |
ストーブが出てきた。冬の到来を感じる。 宿の主人は75歳くらいか? 「この宿を一人でやっている。妻は3年前に逝った、そろそろ止めたいと思うのだが・・・。」と。 二人くらいの客だけなら何とかできるかもしれないが、シーズンともなると大変だろう。 日曜という日がないし。 でも、このあたりには宿はここしかない。「おへんろさん」のためには頑張ってやって欲しい。 |
H15(2003).11.26(水)・・第32日目(くもり)・・28.3Km(44,000P)・・66番〜70番 「季節は変わる」 |
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6:30 |
「民宿岡田」(徳島県三好郡池田町)スタート。 阿南さんと二人だけでの登山。即、急登。2時間苦しむと・・・ |
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8:30 |
66番雲辺寺。 地理的には徳島県だが涅槃の道場(香川県に入る)。この寺の五百羅漢は見事。
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11:15 |
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14:00 |
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15:35 |
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16:00 | 門前の「一富士旅館」(三豊郡豊中町)投宿。 |
H15(2003).11.27(木)・・第33日目(くもり)・・33Km(39,000P)・・71番〜77番 「短くなった杖」 |
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7:00 |
弥谷寺に向かって坂道をあえいでいると浜村君から電話「最近メールがないがどうしてる?」と。 |
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9:35 |
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10:56 |
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11:30 |
善通寺市の郊外に位置し、我拝師山に建っている。 大師が7歳のときに衆生救済の誓願を立てて山上から身を投げると釈迦如来が救いに出現したという伝説があると。
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12:20 |
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12:50 |
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14:15 |
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15:25 |
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16:40 | 「ビジネスホテルさくま」(丸亀市富屋町)着。このホテル、おへんろには特別料金でお安くしてくれる。 |
H15(2003).11.28(金)・・第34日目(あめ)・・37Km(55,000P)・・78番〜82番 「モミジ」 |
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6:50 |
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7:50 |
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9:30 |
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11:35 |
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14:00 |
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15:55 |
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H15(2003).11.29(土)・・第35日目(あめ)・・28Km(42,000P)・・83番〜85番 「あめ」 |
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6:50 | 「旅館百々屋」(高松市鬼無町)スタート。 | ||||||
9:10 |
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13:20 |
普通、明神さんにはキツネとしたものなのにここはタヌキだ。 ここのタヌキは四国のタヌキを統括しているそうだ。
ここで今夜のお宿を予約しようと思いケータイを架けても圏外で通じない。 山から下りて2軒のお宿に電話すれどもお留守のようだ。 今夜のお宿はあるかな?との不安な思いで歩いていると、「高柳旅館」が目に付いた。 |
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15:00 |
「高柳旅館」(木田郡牟礼町)投宿。 ここで今夜の宿泊をお願いし、荷物を預けて八栗寺へ。 |
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15:30 |
メガネが曇る、あめがメガネに当たらないように頭を下げてうつむいて歩いていると視野が狭くなりへんろ標識は見落とす。 道が分からなくなる。全く困ったことだ。 |
H15(2003).11.30(日)・・第36日目(くもり)・・28Km(51,000P)・・86番〜88番 「結願」(ケチガン) |
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6:50 | 「高柳旅館」(木田郡牟礼町)スタート。 | |||||
8:40 |
と言ったら「40日でも早いのに40日を切るのは20歳代の若者だ。」 と感心された。
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10:25 |
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12:00 |
前山ダム。
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13:00 |
女体山を登っていると地の人と思われる人が一人下りてきた。 「ご苦労様、通しですか?いよいよ結願ですな。おめでとうございます。何日かかりました?」 「36日かかりました。ウッ。」 なみだが・・・。何故か涙が流れ落ちた。 女体山の頂上からドンドン下って・・・ |
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15:25 |
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16:00 | 門前の「民宿八十窪」(大川郡長尾町)投宿。 |