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2017.5.8~9(火) 1番 霊山寺~14番 常楽寺 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また、「おへんろ~~」と考えたらどうしても行きたくなって・・・ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3:40 |
自宅をWAKE でスタート。 今回は素直にまじめに参拝しようと思う。 昨今、老人の交通事故がよく報道されるので運転には特に注意して行こうと思う。 |
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4:40 |
神戸を過ぎた頃から空は白んできた。 やはり、明るいと運転はし易い。 が、高速道を「徳島道」へ行ったのが間違いで「高松道」へ行かねばならなかった。 |
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6:55 |
コースを間違えたので、自宅から3時間あまりかかって1番霊山寺に着く。 お遍路は「発心道場」「修行道場」「菩提道場」「涅槃道場」と四道場に分かれる。 先ずは「発心道場」から・・・
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7:48 |
霊山寺ではゆっくり御経をあげたりしたので僅か1.2Km の2番極楽寺に着いたのは約1時間後。
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8:20 |
3番金泉寺。 弘法大師が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘ったところ、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。
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8:55 |
4番大日寺。 「打つ」:お寺に参拝することを「打つ」という。 昔、願い札はかまぼこ板のような薄い板に書いてお寺の柱等に「打ち付けた」事に由来する。
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9:20 |
5番地蔵寺。
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9:50 |
6番安楽寺。 狩人が誤って弘法大師に放った矢を松の木が揺れて大師を救った。 大師はその松の木を逆さに植えて「この松が育つならば良きことあらん」と立ち去った。
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10:17 |
7番十楽寺。 このお寺で外人のアベックに出会った。 国際親善のため話しかけたら喜んで応じてくれた。 「ポーランドから来た。歩きとバスで20日かけてのおへんろだ」という。
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10:45 |
8番 このお寺の山門は四国随一の高さを誇る。 残念ながら山門とお寺の間に自動車道が走り、この山門は寂れてしまった。
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11:25 |
9番法輪寺。
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12:00 |
10番切幡寺。 このお寺の参道、333段の石段をフーフー登っていると同じくフーフーの外国夫人。 この方にも話しかけた「日本語OK?」 「No Engrish Only 」 でも分かったことはドイツから来たそうだ。 6週間かけて通し歩きだと。
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13:10 |
11番藤井寺。 四国の寺は全て「○○じ」と発音するが、ここだけは「ふじいでら」。 ここでは駐車料金300円取られた。 ここにも一組の外人アベック。やはりドイツから来たと言っていた。 「これから焼山寺へ参るという」 「4~5時間かかる。お気を付けて・・・」と励ました。 「Thank You 」。
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15:00 |
11番までは平地だったが、12番焼山寺は標高938m の山の8合目あたりにある。 「一に焼山 二におつる 三に太龍」と言われる遍路転がしのお山だ。 お寺の手前にはへんろの開祖、衛門三郎ゆかりの庵と像。
このお寺でも外人夫婦がいた。 「どこから?」 「ドイツから・・・」 ドイツ人が多い日だった。 |
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17:00 |
時間をかけてお山をおり、13番大日寺。
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18:10 |
徳島市の大日寺から20数キロ離れた阿南市にある道の駅「公方の郷 なかがわ」でオネンネ。 |
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2017.5.9(火) 14番 常楽寺 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8:30 |
これから頑張ろうと14番常楽寺に着くと、雨が降ってきた。
天気予報では今日も明日も雨だという。 急に気持ちを削がれてしまって帰途に・・・ 13:00 帰着。
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2019.8.7(水)~8.9(金) 15番国分寺~19番立江寺 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長らく途絶えていたお遍路の続き、その前に祖谷渓のかずら橋も見てみようと・・・ |
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8月7日 かずら橋・琵琶の滝
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8月8日 小便小僧~
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18番恩山寺は小松島市にある。
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19番立江寺は街中
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8月8日は徳島市の眉山にある“かんぽの宿徳島” に泊まり 8月9日(金)帰途に着く。
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2015.10.9(金)~10.11(日) 二宮飛行神社~75番 善通寺~88番 大窪寺 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
急に思い立ちお遍路に行きたくなった。 既に5巡は結願しているが、先般74番甲山寺までWake で行っているのでその続きを・・・
淡路鳴門自動車道から高松自動車道を走り、府中湖PAから一般道に下りる。 善通寺市へ向けて走っていると、まんのう町で「二宮飛行神社」という文字を見つけた。 先般カナダへ旅行するにあたり「飛行神社」に参拝したが、 「もしや?」と立ち寄ったところ案の定あの「二宮忠八翁」を祀っている神社だった。
二宮忠八は、1866年(慶応2年)伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)に生まれた。 明治20(1887)年、忠八は21歳で徴兵され、丸亀歩兵第12連隊に入隊した。 その2年後、野外演習の帰り道のこと、仲多度郡十郷村(現在のまんのう町)もみの木峠で昼食をとっている時、 ふと霧の中から残飯を求めて滑空してくるカラスに注目する。 カラスは翼を広げ、羽ばたくことなくすべるように舞い降りてくる。 飛び立つときには何度か大きく羽をあおって、すぐに谷底からの上昇気流に乗って舞い上がっていく。 その様子を見ながら忠八は、向かってくる風を翼で受け止め、その空気抵抗を利用すれば、 翼を羽ばたかなくても空を飛ぶことができるのではないか、と考た。飛行原理の発見である。・・・ なんだか強烈な因縁を感じて、ここ道の駅「空の夢もみの木パーク」で一泊することにした。 |
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朝、善通寺に向けて車を走らせていると「こんぴらさん」に行き当たった。 普段日中なら観光客でいっぱい賑わっているところだが、早朝のため人影は殆どない。 琴平大芝居「金丸座」のそばに駐車して「こんぴらさん」にお参りする。
参道に来ても殆ど人影はない。 タクシー(かご)に乗る人もいない。
御本宮まで来たが折角なので
奥の社を参拝して御本宮まで戻ってきて境内を散策する。
ここ善通寺は弘法大師の誕生地だ、というだけあって境内も非常に大きい。 本堂と大師堂は境内の両端にある。
善通寺から76番金倉寺へ移動。
このあたり、崇徳天皇(第75代)に係わるところがいろいろある。 今朝のこんぴらさん奥社の白峰神社、ここ天皇寺、これから行く白峰寺には御陵まであるよ。
時間も納経時間に迫ってきたので般若心経もそこそこに次の根香寺へ急ぐ。
昔、青峯山には人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいました。 村人は、弓名人山田蔵人高清に頼み退治してもらうことしました。 しかし、高清が山へ入れど、なかなか牛鬼が現れません。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけました。 すると21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。 逃げる牛鬼を追うと2kmほど西の定ヶ渕で死んでいるのを発見しました。 高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。その角は今でも寺に保存されています。 今日のお宿は道の駅「香南楽湯」。 |
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香南楽湯の駐車場には全国からのキャンパーが大勢いた。
屋島神社の駐車場に駐車して、さて屋島寺への登山道はどこだろう? と迷っていると地元の3人組がハイキングにやってきた。 道を尋ねると途中まで一緒に行ってやろうと案内してくれた。
その昔弘法大師が屋島寺に向かう途中、喉の渇きに耐えかねて、 この地で梨の実の収穫作業を していた農夫に梨の実を1個所望したところ、 「硬くて食べられない梨だから」と言って 断られてしまった。 その後、その梨の実は本当に硬くなり、食べられなくなったという伝説がある。 みなさん、「嘘」をついてはいけませんよ。 「恵み」を惜しんではいけませんよ。
その昔、あるタヌキが矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓った。
殆ど下ったところでお接待所の奥さんが声を掛けてくれた。
八栗寺から市中に下りて次の志度寺に向かっているとお巡りさんが大勢で交通整理。 交差点ではお祭りの神輿が賑やかに・・・
志度寺に着くと駐車場は工事中で寺への入り口はどこか分からない。
天武の昔、淡海公が 藤原不比等は、唐の高祖妃から送られた面向不背の玉が、志度沖で竜神に奪われたため、 身分をかくして都から志度の浦を訪れ、純情可憐の海女と恋仲になり一子房前が生れた。 淡海公から事情を明かされた海女は、瀬戸の海にもぐり竜神とたたかい玉を取り返したが、竜神のため傷つき真珠島で命を果てた。 後年大臣となった房前は僧行基を連れて志度を訪れ、千基の石塔を建てて母の冥福を祈ったという、殉愛悲恋のヒロイン海女の墓である。
長尾寺から結願寺大窪寺に向かう。 途中おへんろ交流サロンへ立ち寄り前山ダムを見て・・・
納経所で朱印をもらったのが16時過ぎ。 元気と時間があればあの女体山を征服?したかったのだが・・・ そのまま車を走らせて20:30帰着。
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