漫歩マンの    お遍路旅日記 5巡目      
 
 
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    また夫婦で遍路をすることにした。
今度も何年かかるか分からないが、ゆっくり廻ろうということで・・・  

四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。
この霊場を札所番号の順に巡拝する遍路には、ここ「発心道場」から、「同行二人」の長い旅となる。

1~23番は発心道場。
 1番~6番  2012年7月22日 
  7番~11番  2012年8月19日 
 12番~16番  2012年9月18日  

 夫婦で車遍路4日間。
24番最御崎寺から高知の修行道場に入るよ。
  1番~6番
17番~34番
   2014年5月3日~

  35番清滝寺から45番岩本寺まで、急に思いつき単独で・・・
 35番~45番  2014年9月4日~ 
 
 「wake」で一人遍路、46番浄瑠璃寺から74番甲山寺まで
 46番~74番  2015年5月24日~ 
 
 夫婦で5巡目を廻ろうと始めたが、お互い忙しくて日程の調整がつかない。
イライラ精神衛生上よからぬ思いをしているときに、T氏から野宿遍路の提案があった。

即、乗ったね。梅雨時だというのに・・・。
70番~88番     2013年6月13日~
 2012年7月22日(日)  1番~6番  
 8:20
トラピクスのバスで38名の客を乗せて生駒駅から発車。 

添乗さんは中川・日詰さん、先達さんは西村さん。
先達の西村さんは在家の方なるもなかなかのお人、説明もお上手だ。
9:30 淡路ハイウェイオアシスで小休憩して 

11:00

【第1番霊山寺(りょうぜんじ):(鳴門市大麻町坂東霊山寺)

気持ちとしては「これから始まるんだなあ」と思うが「歩き」でない点がちょっと気分的には収まりがつかない。
歩き遍路の女性一人旅の人が居たのでその人を捕まえて話しかける。
「今日はどこまで・・?」「暑いでしょう?」とかとか・・・

聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。
弘仁6年(815)、弘法大師が心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。

多宝塔 応永年間(1394〜1428)の建造で、五智如来像が祀られている


山門

多宝塔

 12:05

【第2番極楽寺】:(鳴門市大麻町檜字段の上)

西村先達のお話では線香を3本立てるのは「仏・先祖・自分の幸せ」を願って・・・だと。
真面目にローソクを立て、線香を3本立ててお祈りをする。

行基菩薩の開基と伝えられている。
本尊は弘仁6年(815)、42歳の弘法大師が彫造した阿弥陀如来。
44段ほどの石段をのぼった正面に本堂がある。
境内は三方を山に囲まれ閑静で、朱塗りの仁王門をくぐると極楽浄土をイメージしたような庭園が広がる。
弘法大師お手植えとされる「長命杉」は、樹齢1200年あまり、高さが約31メートル、周囲約6メートルもある霊木である。


 極楽寺山門

樹齢1200年の長命杉

 13:00

【第3番金泉寺(こんせんじ):(板野郡板野町大寺亀山下)

弘法大師が掘ったという「黄金の井戸」、ここを覗いて自分の顔が映ったら長生きできるという、幸せになるという。
マロが覗いたらしっかりはっきり映っていた。「幸せだなあ~~」

聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立した。
本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。
弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られた。この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名を「金泉寺」とした。

境内西隣にある「弁慶石」は、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられている。

長慶天皇(1368~1383)陵は京都嵯峨天竜寺にあるのにここ(本堂の裏)にもあった。 
長慶天皇は応永5年に当寺で亡くなられたとか。南朝北朝の時代ゆえかこの天皇の「御陵」はいたるところにあるという。

金泉寺山門 

黄金の井戸

弁慶石

長慶天皇陵

 13:40

【第4番大日寺】:(板野郡板野町黒谷字居内) 

境内でハスの花がきれいだった。

弘法大師が42歳にあたる弘仁6年、一刀三礼をして55センチほどの大日如来像を彫造され、これを本尊として創建し、
寺号を本尊に因んで「大日寺」と命名したと伝えられる。


大日寺

ハスの花

 14:00

【第5番地蔵寺】:(板野郡板野町羅漢字林東)

嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、弘仁12年弘法大師が開創された。
大師は、自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、本尊に安置したと伝えられる。
この勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしている。

境内の大銀杏。樹齢は800年を超え、母なる大木につつまれ歴史が刻まれている。

地蔵寺山門

樹齢800年の大銀杏

山門の勝軍地蔵
 
14:50

【第6番安楽寺】:(板野郡上板町引野寺の西北)

以前(2006年3月)の歩き遍路の際には初日の泊まりがここだったことを思い出した。
さすがバス遍路は早い!
「あっ」という間に6ケ寺が廻れた。

ここ引野村には古くから温泉があり、安楽寺は弘法大師によって温泉湯治の利益が伝えられた旧跡で、山号は温泉山とされた。
桃山時代に阿波藩祖・蜂須賀家政公が「駅路寺」と定め、四国遍路や旅人の宿泊、茶湯接待の施設を置いた。


安楽寺山門

さかさ松
 15:30 予定の6ケ寺を終えるとおみやげ物屋に寄り、淡路オアシスに寄り、中国道から帰る。
 19:30 自宅帰着。 
  本日の歩行数: 14,185歩
 2012年8月19日(日)  7番~11番   

8:20

 このシリーズ、毎回生駒駅を8:20 にスタートする。
大阪からスタートするのは気分的にも大変だが、生駒発だととても気楽だ。

今日の乗客は20名。 バス内はゆったりしている。
11:00



【 1番霊山寺】(鳴門市大麻町坂東霊山寺)

参拝はしない。

霊山寺山門 

霊山寺多宝塔

11:50

【11番藤井寺】
:(麻植郡(おえぐん)鴨島町飯尾) 

今回はこのトラピクスだけでも各地から4台のバスが出ており、お寺で混乱してはいけないからと逆打ちの11番から廻る。

このお寺は名前の通りその季節には「藤」がきれいだそうだ。 
また、本堂天井には地元の画家による30畳の「龍」の絵が有名。
そして、本堂横の道から12番焼山寺への遍路道がある。

藤井寺山門 

藤井寺本堂 

藤井寺天井絵

焼山寺への遍路道 

境内の八十八ヶ所祠、大窪寺

 藤棚

藤井寺の参拝を終えるとバスの座席に弁当が置かれている。
次の10番切幡寺まで40分ほどあり、車中で食べる。

12:35


【10番切幡寺】:(阿波郡市場町切幡観音) 

切幡寺の駐車場でお寺までのタクシー組と歩き組みに分かれる。  ちょうど半々だ。
オッ家内はタクシー派、ワタクシは歩き派。

駐車場から少し歩き、山門をくぐると「是より333段」の石段。 そして「女やくよけ坂」、「男やくよけ坂」。
20分ほど汗を流しながら進むと本堂に着く。

古く、この山麓に機を織る乙女がいた。ここで修法していた弘法大師は、結願の7日目、綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。乙女は、織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。大師は、この厚意にたいへん感動し、「何か望みはないか」と尋ねた・・・ ・・・

今回の山門
 
2008年2月、参拝時の山門

2003.10.27歩き遍路のときの山門

是より333段

女やくよけ坂

男やくよけ坂
 

本堂

境内の「はたきり観音」 
 
大塔
境内には乙女の願いにより即身成仏したといわれる「はたきり観音像」、右手にハサミ、左手に長い布をもつ。

本堂から更に石段を登ると切幡寺大塔(重要文化財)、初重と二重の間が方形で、日本唯一の構造様式。
豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うため建立、明治6年に移築し、完成に10年を要したという。

13:50
 
切幡寺から10分ほどで【9番法輪寺】:(板野郡土成町土成字田中)

その昔、足の不自由なお遍路さんがこの寺を参拝中に足が治ったという話から、仁王門や本堂にはたくさんの草鞋が奉納されている。
納経所で売られている健脚祈願「足腰お願いわらじ」は参拝者に人気である。

涅槃釈迦如来を本尊とするのはこの寺だけ。
普段は秘仏とされており、5年に一度だけ開帳される。


法輪寺山門

奉納された「わらじ」

14:30
 
法輪寺からすぐ近くに【8番熊谷寺(くまたにじ):(板野郡土成町土成前田)

この寺の山門は12.3mの高さがあるそうな。 
バスはくぐれないので裏手から眺めるだけ。

以前2回歩き遍路の際に通っている。


写真は2006年3月の歩き遍路の際に撮影

もう一つの山門 

本堂

大師堂はさらに上に

15:08
 
熊谷寺からすぐそばに【7番十楽寺】:(板野郡土成町高尾法教田)

弘法大師開基のお寺。8つの苦しみを乗り越え、極楽浄土の10の楽しみを授かることが出来るようにとの願いから、十楽寺となったとされる。
眼病や失明に霊感があるといわれている地蔵尊あり、納経所では眼のお守りが販売されている。


中国風赤い山門

もう一つ山門

本堂

大師堂のお大師さん
八十八ヶ所中でお大師さんの顔がはっきり見えるのはここだけとのこと。
19:30 帰着。                                 本日の歩行数: 14,336歩
  2012年9月18日(火)  12番~16番 

8:20

 いつもどおり生駒駅前をバスでスタート。 乗客は39名とのこと。
先達さんは平井さんといった。どこかの住職さんとお見受けした。
先達さん、バスの中では遍路にまつわるいろんなことを教えてくれた。
 ただ、メモしろといわれたがバスの中でなかなかメモできず、かといって頭に残せといわれてもなかなか・・・。

「お遍路の意味」とか「ローソクはなぜともすか」「線香の意味は?」「五重の塔の五重のわけは?」「三重塔は?」「境内ではなぜ左側通行か?」等々聞かせてもらったが・・・。
 

バスの中で昼食
11:55


  【16番観音寺】:(徳島市国府町観音寺)は町中にある。

順番どおり12番焼山寺から廻ると思っていたが、16番から廻った。

観音寺山門 

本堂脇の仏足跡
12:36



















 【13番大日寺】(徳島市一宮町西丁)

大日寺山門 

大日寺の目の前は一宮
境内中央には蓮華合掌のモニュメント。 本堂の左側柱上のほうには横綱大鵬の千社札が貼られている。 大鵬もお参りしたのか。
この寺の女住職さんは韓国出身の方だそうだ。 バスの駐車場の横には韓国舞踊の教室がある。

蓮華合掌 

大鵬の千社札

韓国重要無形文化財伝授道場 







14:08
 大日寺から1時間ほどバスを進め、焼山寺の山の麓でマイクロバスに乗り換え20分ほどで焼山寺の駐車場。

そして10分ほど歩くと【12番焼山寺】:(名西郡神山町下分地中)

ここでマイクロバスに乗り換え 

焼山寺参道入り口

焼山寺山門

自然石の石段

マイクロバスで下りの途中、衛門三郎像

【衛門三郎】:
天長年間の頃の話である。伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町・文殊院)の豪農で衛門三郎という者が居た。
三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。
三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。
8日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった。

三郎には8人の子がいたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなり、8年目には皆亡くなってしまった。
悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。

三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。
二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。
死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。

翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。
息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。
その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。

 15:45





















  焼山寺からバスは山道を鮎喰川沿いにドンドン下り町中に入ると【14番常楽寺】(徳島市国府町延命)。

お寺の前には山頭火の「人生即遍路」 。

 人生即遍路
この寺の境内は流水岩。 そして本堂の前にはあららぎ大師。

流水岩の庭

櫟の木

櫟の木の股にあららぎ大師

16:20
 
常楽寺から100mほど歩き、 【15番国分寺(徳島市国府町矢野)
88ヶ所のお寺は夕方5時で“営業”終了、それ故か、先達さんなんとなく急いでいる。「ローソクは(省略しても)いいよ」とか「線香はいいよ」とか言っている。

烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)は、眼と体の下半身の病に霊験があるそうだ。
家の中にかまどの神様や風呂の 神様が祀られていたのと同じようにトイレの神様として信仰されていて、不浄金剛とも呼ばれているそうだ。
納経所で烏瑟沙摩明王のお札を求めることが出来る。


国分寺山門 

本堂と鐘楼

烏瑟沙摩明王堂 
17:00 本日の打ち止め。あとは帰途。 寺の前で隣の方とビールを買い求めて、本日初めてお会いした最後列の3人でカンパーイ。
20:20 自宅着。  おつかれさん。 
   本日の歩行数: 14,562歩
     2014年5月3日(土)から 夫婦で車遍路 4日間 
2014.5.3 1番~6番  
 9:30  車で自宅をスタート。
覚悟していたとはいえ、さすがに連休! 普通、神戸の柳原まで約45分で行けるところ、3時間半もかかった。
 15:15 1番霊山寺着。 既に何度もお参りしているからとの言い訳のもと、遍路地図を買ったらすぐに失礼!

2~6番の納経もそこそこに・・・。
 ~
16:55

2番極楽寺の長命杉 

5番地蔵寺の大銀杏

6番安楽寺のさかさ松
 17:50 道の駅「神山温泉」 で泊まり。     
 本日の歩行数: 8,732歩
2014.5.4 17番~23番 
 7:10  道の駅「神山温泉」をスタート。

 8:00

 【17番 井戸寺】徳島市国府町

井戸寺山門

ワタクシの顔が映っている 
 
その昔、この地の住民から水不足を訴えられた大師が地面を杖で突くとそこから清水が湧き出たという。
井戸をのぞいて顔が映ればその人の寿命が3年延びるという。
 9:27
  【18番 恩山寺】小松島市田野町  

恩山寺 
 9:51






  【19番 立江寺】小松島市立江

この寺には「お京塚」と「黒髪堂」があり、不倫とかをしてはいけないという戒めがいい伝わる。


このお寺では警察の人がマスコットとともに交通安全運動。

この付近ではこのお寺が一番著名だと地の人が鼻を高くしていた。
(以前の住職が高野山の管主を勤めていたんだと)

立江寺にて 

 10:53
 【20番 鶴林寺】勝浦郡勝浦

鶴林寺山門

鶴林寺山門

シャクナゲのつぼみ

ボタンとシャクナゲ
この鶴林寺は焼山寺・太龍寺と並んで徳島の3大難所とされる“へんろころがし”だが、今回は車のため簡単に登れた。
境内にはボタンやシャクナゲがきれいに咲いていた。

11:40

 【21番 太龍寺】阿南市加茂町
太龍寺へはロープウエイで登る。
ロープウエイは毎時0・20・40分に発車する。 食事を済ませて乗る。

ロープウエイから虹(環水平アーク)が 

ロープウエイ

21番太龍寺へ 

龍の天井画

 14:09

【22番 平等寺】阿南市新野町

平等寺

天井画

15:00

 【23番 薬王寺】海部郡日和佐町

薬王寺 

吉川英治の鳴門秘帖の舞台になった

薬王寺から見た日和佐城

こどもへんろ、可愛いね

薬王寺の仁王さん

薬王寺の仁王さん 

キラメッセの夕日 

 

キラメッセのクジラの刺身 
キラメッセではクジラの刺身がおいしかったね。
昔はわらぞうりのように大きなクジラのカツを昼メシに食わされたものだが、今は貴重品。
その上、先般南氷洋での捕鯨が禁じられて、このさきどうなるのかな?

壁にビールのポスターが貼ってある。
そこに「たっすいがは いかん」とある。 問えば「気が抜けたのは あかん」という意味だそうな。(高知弁かな?)

                       本日の歩行数: 19,633 歩
2014.5.5 24番~34番  
7:10  道の駅「キラメッセ」スタート。

 7:40

 【24番 最御崎寺】室戸市室戸岬町

南国調の樹林を行く 

室戸岬の灯台

最御崎寺山門
 
鐘石(石で敲くと鐘のような音がする

 8:34
 
 【25番 津照寺】室戸市室津

 津照寺

津照寺から見た港
強烈に急な階段! 数えながら登ったら125段あった。 25番札所だから125段か と一人納得。

 8:57
 
 【26番金剛頂寺】室戸市元乙

ここも長い石段

一粒万倍の釜
ここもまた長い石段! 
境内には一粒万倍の釜がある。 願えば「万倍になって返って来る」というので「一円」入れたが・・・。
いつ、帰ってくるのか聞き漏らした。 明日返るのか? 10年後か? 20年後か?

この寺の裏山は「ヤッコソウ」の自生地で有名。
探し回ったが見つけられなかった。 聞けば「11月頃が最盛期だ」という。
9:59

 金剛頂寺を終えて、次の寺に向かう途中「吉良川町屋保存地区」。

季節によってはこの町屋でお雛さんを飾っている。

町屋の風景

 10:51

 【27番 神峯寺】安芸郡安田町
 
神峯寺山門
 
神峯寺山門
 13:14
 【28番 大日寺】香南市野市町

大日寺境内
 13:42







 【29番 国分寺】南国市国分


このあたりで小学4年生の男の子を連れたおばあちゃんとお母さんの3人連れとお話しする。

この小4の男の子、般若心経を経本を見ずにすらすらとお経をあげる。
聞けば「こども先達」の資格を持つという。

今、別格霊場を巡拝中だとか・・・。 すごい少年もいるもんだ。

国分寺山門

 14:35

【30番 善楽寺】高知市一宮

善楽寺 山門

土佐神社
この寺は神仏習合だ。

 15:11

 【31番 竹林寺】高知市五台山。 
竹林寺への登り口に差し掛かると、大規模な交通整理。 竹林寺では今日は50年に一度のご開帳でお客さんが大勢だからとの事。

 竹林寺山門

竹林寺境内

竹林寺五重塔

 15:55

【32番 禅師峰寺】高知市十市
このお寺のお花もきれいだったね。

クレマチス

セッコク
16:34
 【33番 雪渓寺】高知市長浜

雪渓寺
 17:00








 【34番 種間寺】吾川郡春野町


納経はどのお寺も夕方は5時まで。

間に合わなければ仕方がないが、行くだけ行ってみようと行ってみるとギリギリ間に合った。
お経もそこそこに朱印を貰う。

今回の参拝はここで打ち止め。

種間寺 

 17:45

お寺から離れて高知の街中へ出て、「はりまや橋」見物。

橋袂の珊瑚屋さんで何千万円の珊瑚・何百万円の珊瑚の見物をして、買い物は手に届く珊瑚で我慢して貰ってオッ家内に・・・。

はりまや橋

400万円の珊瑚を見て

                           本日の歩行数: 23,391 歩
  2014.5.6  ー 帰 途 ー
 5:15

10:15

朝、早いと思ったが、車が渋滞しては困るので早々にスタート。
高速高知道から乗る。

 早朝に走ったお陰で僅か5時間で自宅に着いた。
 2014年9月4日(木)から 単独、車遍路 4日間  

35番清滝寺から45番岩屋寺
  2014.9.4(木)  ー 移動日 ー 
10:00  急な思いつきのため、スタートは10時になった。 急ぐわけでもなし、のんびり行こうと・・・

周到な準備が無かったため、常備の目薬を忘れた、前回買ったへんろマップを忘れた。
 15:45
 四国中央市経由大歩危小歩危を通る。

ここんとこの大雨で吉野川はかなりの増水。

大歩危の吉野川
 18:25


 へんろ道塚地休憩所。

歩きのときはここから山道へ入ったことを覚えている。

塚地休憩所 

へんろ道入り口
 18:50
 井の尻キャンプ場にてオネンネ。

キャンプ場から宇佐大橋を
   本日の歩行数: 7,290 歩  本日の走行距離: 342 Km
  2014.9.5(金)  35番 清滝寺~40番 観自在寺
6:45


 井の尻キャンプ場をスタート。

途中の海岸に竜の浜公園(こちらも野宿にはうってつけの場だった)。

竜の浜公園
7:15

  36番青龍寺

朝早いからか誰も見えない。

かなりの階段 

36番青龍寺本堂
 8:02

 35番 清滝寺

35番と36番だけ逆打ち。

35番清滝寺

まだ誰も線香を立てていない
 10:23



 37番岩本寺

途中ラジオで
「毎週火曜日Eテレ21:30~“四国遍路”をやっている」と言っていた。

鐘楼 

37番岩本寺


 

 37番を打ち終えるとあとは海岸沿いに足摺岬へ向かう。
途中には以前お世話になった民宿が目に入り、懐かしい。

大岐浜ではサーフィンを楽しむ若者がいた 。

11:37

11:37

12:22

12:27 

13:04 大岐浜

13:47 金剛福寺
 38番金剛福寺


 金剛福寺の前は遊歩道で風景を楽しめる。

「この足摺岬で亡き妻の散骨をするのだ」と言っていた
おへんろさんを思い出す。

14:03 
 
ジョン万次郎像
15:40

 39番延光寺

延光寺山門(貫禄あるね)

眼洗い地蔵

この寺のそばに“へんくつや”という民宿があり、以前お世話になった記憶があったのに、今は陰も形もなくなっていた。
2年ほど前にご主人が亡くなり廃業したそうな。
16:40

 40番観自在寺

 ここから愛媛県菩提の道場だ。

観自在寺 山門

観自在寺 本堂
 18:20

 40番から41番に向かう途中に“道の駅みま”があったので、ここでキャンプ。

広大な駐車場で夜になるとオネンネの乗用車、トラック野郎でかなりの賑やかさ。

道の駅 みま 
 本日の歩行数: 12,530 歩  本日の走行距離: 296 Km 
  2014.9.6(土)  41番 龍光寺~45番 岩本寺 
6:00 起床。 7:00 スタート。 
7:10
 41番龍光寺

龍光寺
 7:30





 42番仏木寺

山門の前で自転車野郎二人が話し合っていた。
一人は東京から、一人は徳島から。
同好の仲間は話が合うようだ。

そして「一人旅が一番楽しい」と言い合っていた。

仏木寺 山門 

仏木寺
 8:35
 43番明石寺(めいせきじ)

明石寺 山門

 明石寺 いわれ

9:45

明石寺から大洲市に入ると国道56号線に面して十夜ケ橋がある。

昔、弘法大師が行脚のおり、この辺りにさしかかった時、日が暮れてしまい、泊まるところもなく空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をされました。その折に、一夜限りとはいえ夜明けまでの時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠ったことから十夜ヶ橋と名がついたといわれています。

十夜ケ橋本坊 

大師寝姿

橋の下
11:25

 44番大宝寺

大宝寺の町には大きな惣門。

大宝寺 惣門

大宝寺 大師堂

 12:30

 45番岩屋寺。奇岩のお寺だ。山門からの坂道のシンドイこと。

「まだまだこれからじゃ。岩屋の坂と人生は」と看板が。

 坂道 標高700m へ
 
古いほうの山門
 
逼割禅定
 
13:52

 岩屋寺を打ち終えると、「石鎚スカイライン」の標識が見えたので、今回のお遍路は打ち止めにして石鎚山に方向転換する。

スカイラインの入り口には標高1982m を記念して1982年に建てたという大鳥居。

13:52 大鳥居 

14:19 展望台 ガスのため展望悪し

14:48 石鎚神社土小屋遥拝殿

14:32 石鎚山

14:51 土小屋ロッジ 

16:08 吉野川源流点とあった

16:25 いたるところ滝だらけ
 
16:35

16:37 石鎚ガスの遠景

少しは晴れるかな、と期待して待ったが一向にその気配なく、あきらめて下山する。
途中出来立てほやほやの滝が次々と・・・

麓に近づいてきたらガスでまさに一寸先が全く見えない。 このときばかりは本当に怖かった~~。
 18:10  道の駅“マイントピア別子”着。 
 本日の歩行数: 13,375 歩  本日の走行距離: 227 Km  
  2014.9.7(日)  ー 帰路 - 
 6:20
 この道の駅は別子銅山があったところで、記憶に残そうとしているテーマパーク。

背負い子

鉱山鉄道跡
 7:10 道の駅マイントピア別子スタート。 
14:00 帰着。 
 本日の歩行数: 6,978 歩  本日の走行距離: 289 Km   
9月4日から9月7日までの4日間の歩行数合計: 40,173歩  走行距離:1154 Km   
   2015年5月24日から  「wake」で一人遍路  64番浄瑠璃寺~74番甲山寺  
1日目 (2015.5.24)(日)
10:20  次の日曜日は甥っ子の結婚式。
それまで少し時間にゆとりがあるので・・・「wake」で遍路に出かけた。
 15:00








 家を出て明石海峡大橋を渡り、阿波の土柱に着いた。



【阿波の土柱】

 この土柱は、約130万年前の礫層が侵食されて出来たものである。
冬季に連呼する強い西風や急激な雨水によって漸次侵食、下刻されて、雨谷(雨溝)をつくり、こうして出来た幾筋からの雨谷は相互に闘争しつつ、雨毎に岩石や土砂を洗浄、流下して掘れ溝を崖の上下に向かって深めて行く。 ・・・・・

阿波の土柱 

 17:09



 道の駅「風和里」着。

愛媛県松山市の海岸にある。

風和里 

風和里

松山市大浦 海岸の夕方
2日目 (2015.5.25)(月) 
7:56
 46番浄瑠璃寺

浄瑠璃寺 

浄瑠璃寺
8:20

















 47番八坂寺

八坂寺

八坂寺

宝匡印塔

 

衛門三郎八つ塚碑
 8:43




 48番西林寺。 


松山は正岡子規、俳句の町である。

子規の歌碑には
「秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛」

西林寺 

正岡子規 歌碑 
8:56

















 49番浄土寺

浄土寺

仏足石
9:25
 50番繁多寺

繁多寺 

繁多寺








 9:33
  51番石手寺

山門のぞうり

三重塔

境内横からは52番太山寺への遍路道

   石手寺には有名な遍路の開祖衛門三郎の伝説がある。 

 むかし、天長の頃、伊予の国浮穴の郡荏原の郷(現在の松山市久谷恵原荏原)という所に河野衛門三郎という強欲非道な大百姓が住んでいました。
ある日、衛門三郎の家の前に一人の旅のお坊さんがやってきて、托鉢の鈴を鳴らしました。

心地よい昼寝を破られた衛門三郎は、お坊さんを追い返そうとしたのですが、動きません。
腹を立てた衛門三郎は、竹ほうきでお坊さんの椀をたたき落としました。
すると椀は、8つに割れて飛び散ってしまいました。

そんなことがあった翌日から、衛門三郎の8人の子供が次々と死んでしまいます。
さすがの衛門三郎も声を上げて泣きました。

ある夜、衛門三郎の夢枕にあの旅のお坊さんが現れ、「全非を悔いて情け深い人になれ」 と告げます。
夢から覚めた衛門三郎は、自分が強欲であったことを悔い、あの時の旅僧は弘法大師だと気が付きました。

衛門三郎は、弘法大師に許してもらおうと、四国を巡っている大師を捜して四国の道を東からまわったり、西からまわったりして歩きますが、なかなか出会うことができません。

四国を二十数回まわったところで、阿波(徳島県)の第12番札所・焼山寺で倒れてしまいました。
その時、衛門三郎の前に弘法大師が現れ、「これでおまえの罪も消える。最後に何か望みはないか」と、声をかけました。

衛門三郎は「故あって離れている河野一族の世継ぎとして生まれ変わらせてください。
今度こそ人々のために尽くしたいのです」と、言いました。

すると弘法大師は“衛門三郎再来”と書いた小さな石を息を引き取る衛門三郎の手に握らせました。

それから数年後、伊予の国(愛媛県)道後湯築の領主・河野息利に玉のような男の子が生まれました。
ところがその子は幾日経っても左手を握ったままで開きません。
そこで、道後の安養寺の住職に祈願してもらいます。

「きれいな川の水で洗えば開く」とのお告げがあり、そのお告げのとおりにすると、手が開いて中から“衛門三郎再来” と書かれた小石がころがり落ちました。
男の子は、衛門三郎の生まれ変わりだったのです。

その小石は安養寺に納められ、これを機に寺号を「石手寺」に改めたといいます。
この石は、現在も第51番・石手寺の大講堂正面に安置してあり、拝観することができます。
また、第47番・八坂寺の近くには、衛門三郎の屋敷跡といわれる文殊院徳盛寺と8人の子供の墓(八塚)があります。

 11:11
 石手寺から太山寺への途中、
路面電車が・・・。


11:50
 52番太山寺
12:35
 53番円明寺

 円明寺

本堂裏手にキリシタン灯篭



 14:26
 54番延命寺


納経所で印を貰おうとしたら奥さんが
「何処から来ました?」と尋ねる。
「??」
「53番の印がありませんね」
「あっちゃー」
「53番では忘れる方が多いんですよ」と慰めてくれる。

往復2時間半掛けて印をもらいに行く。

延命寺

本堂は改築中





 16:46
 55番南光坊

今治市別宮町の市街地にあった。


このあたり俳句で町おこし。
芭蕉の歌碑もあり。
 「ものいえば 唇寒し 秋の風」

南光坊 

芭蕉の句碑
 南光坊のお隣には大山祇神社。

大山祇神社
 
 今治、湯浦温泉で泊まり。

鈴鹿市から来たという25歳のバイク野郎といささか飲んだ。
彼はバイクで日本一周をしている。「仕事は?」「つい最近辞めた」とのこと。若いやつは羨ましい。
3日目 (2015.5.26)(火) 
7:29
 56番泰山寺
 
泰山寺

泰山寺
 7:59
 57番栄福寺

栄福寺 
8:22





 58番仙遊寺。 かなり山の上にある。

「仙遊寺」の寺名の由来。
40年にわたって伽藍を整備した阿坊仙人という僧が本寺に暮らしていたが養老2年(718年)に突然姿を消してしまったことが寺名の由来になっているという。
なお、「遊」とは仏教では「瞑想にふける」ことを言うと住職さん。

 仙遊寺

 9:16


 59番国分寺

お寺に来ると車を停めるのだが、駐車料を取るところがある。
お遍路に来たら当たり前のことだが、なんとなく「がめついな」と思う。

 国分寺
 10:53



























 通行料 1,450円を支払って~60番横峯寺
山号は石鎚山。

2006年4月にこの横峯寺を打ったときは大雨に祟られ体調を壊し、敗退した苦い思い出がある。

本堂手前から下界を

横峯寺

本堂手前には説明板。

「石鈇山横峯寺(第60番札所)
“たて横に峰や山辺に寺たてて あまねく人を救うものかな”

標高750m、88霊場の内3番目の高さ、役小角が開基したとか弘法大師が石楠木で大日如来を刻んだとか・・・


 説明板

 つぼみのアジサイ 

 池?湖?がきれい
 12:42


 61番香園寺

このお寺はいつも違和感を覚える。
中の本堂はとても立派だが。

ビルディングのお寺

本堂の大日如来
 13:10

 62番宝寿寺

天平年間(708~781)伊予一国一ノ宮の御法楽所として建立したという。

宝寿寺 
 13:27
 63番吉祥寺

吉祥寺
 13:51

 64番前神寺。山号は石鎚山。

広い大きな境内だ。

前神寺
 15:34

 65番三角寺。 

この寺もかなりの山上にあり苦労して上った。

三角寺山門

山門から下を見下ろす
 






16:40
 三角寺を打ち終えて住職さんに「雲辺寺まで時間に間に合いますか?」と尋ねると「ギリギリでしょう」との応え。

ナビを入れると「高速道を走れ」となる。
高速を走り、ロープウエイに乗る。

乗客はワタクシ只一人。

ロープウエイ乗り場

乗った乗客 我一人



 16:58







 66番雲辺寺

 着くなり納経所へ直行。

参拝作法は先ず手水場で手を洗い口をすすぎ、ローソクを立て線香を立て、本堂でお経を上げ、大師堂でお経を上げ、その後納経所で朱印を貰うのが順番なのだが・・・

納経所は17時が“営業終了”だ。


雲辺寺は大好きなお寺である。
ここの五百羅漢は見事なものだ。

 雲辺寺山門
 
 
18:00




 ロープウエイのお嬢さんに泊まりにいい場所を尋ねると親切にいろいろ教えてくれた。

客はワタクシ一人のためだろう。

道の駅「とよはま」がいい、という。

豊浜の夕日

豊浜の朝日
4日目 (2015.5.27)(水)  
 5:00







 目覚め。

 海岸を散歩。

 Tim氏が話しかけてきた。
彼は約67才、カナダ人。
1番霊仙寺経営の英語塾で講師をしているという。


かに  

 Tim 氏
7:34
 67番大興寺

大興寺

樹齢1200年余

カヤの木 説明板
 8:26






 68番神恵院(じんねいん)

69番観音寺

両寺院は同じ境内に並んである。

一粒で二度おいしい。
ただし、納経料は600円。

両寺院の山門

両寺境内
9:01


 70番本山寺

88ヶ所では五重塔は竹林寺・志度寺・善通寺とこの寺の4カ寺のみとの事。

本山寺山門

五重塔
9:47

 71番弥谷寺はシンドイ山道、坂道、急階段。

案内標識を見て 

茶屋の前を通り

弥谷寺 山門を通り 

仁王さんを見て

拝んで
 何度も休憩しながら登る。

大師堂では部屋に明り取りの丸窓がある。
この光で弘法大師は勉強したという。

階段を登り

石段を登り 

大師堂
10:46
 72番曼荼羅寺

 曼荼羅寺

出釈迦寺の奥の院が山の間に見える 









11:12
 73番出釈迦寺

 出釈迦寺

出釈迦寺

 出釈迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。

それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。

すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で虚空蔵菩薩像を刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。

この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。

弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持院」という院号がつきました。
ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。

また、弘法大師が身を投じた場所は、ここからさらに100mほど登った場所にあります。
下を見れば足のすくむような深い谷底ですが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景が広がります。
 11:31
 74番甲山寺

甲山寺
   この後、75番善通寺の前まで行ったが、なんとなく参拝する気が失せてそのまま帰途についた。
 2013年6月13日から7日間  70番~88番  

T氏と二人で歩き遍路 
1日目(2013.6.13)ーーー【70番】【71番】・・・荷物が重すぎたーーー 
8:35 OCATからバスでスタート(4,400円)

 12:45
4時間でバスは「ゆめタウン三豊」に着く。
歩き始めると即リュックの重さが肩に食い込む。 この重さに数日間は到底耐えられない。
歩いている途中のスーパーで起毛マットを購入し、シュラフを自宅へ返送する。 この差数百グラム。僅かな差でも気分の問題!

 13:40

【70番本山寺】三豊郡豊中町本山甲

山門 

本堂

五重塔
本山寺から次の弥谷寺まではおよそ12kmとある。 マロの足は随分遅く納経時間の5時までに着けそうにない、T氏には先に進んでもらう。
 17:06

 弥谷寺の石柱が見えてきた。

これでもう寺は近いぞと思うが実はまだまだ・・・。
 17:23
 弥谷寺の案内標識から山門が見えてくる。

案内板 

弥谷寺山門
 17:31






 山門からしばらく坂道を歩くと見覚えのある赤い階段。
膝に堪える。

108段とあるので頑張って上り詰めるとそこにはさらに「90段」と。 エーッ。

階段手前の説明板には「108」の意味が説明されていた。
その一つに「四苦八苦(4×9+8×9=36+72=108)を落とす」とあった。

108階段 
 17:41

 【71番弥谷寺】三豊郡三野町大見乙

T氏は5時の納経時間にギリギリ間に合ったそうだが、マロの到着はその40分後。

弥谷寺本堂
 18:00


 寺からは下りなのでらくちんだ。

「ふれあいパークみの」(入館料1575円)でお風呂に入り夕食を食べ、公園で野営。

夜は涼しい風がすーっと通って気持ちよかった。
シュラフは返送したが、レジャーマットで充分だった。

ふれあいパークみの 

公園の舞台(ここでお休み)
本日の歩行数=37,914歩(約23.3km) 

参考資料=2014/6/18 朝日新聞に ↑ の記事があった。 
2日目(2013.6.14)ーーー【73番】【72番】【74番】【75番】【76番】【77番】【78番】・・・善根宿うたんぐらーーー  
6:00






 スタート。

歩いているととにかく暑い。
自販機でお茶を買う。

もう、マメが出来てきた。
昨日の重たい荷物で出来てしまった。
針を通してつぶす。

案内標識

彼方の山に出釈迦寺


 7:03
 【73番出釈迦寺】善通寺市吉原町

弘法大師が真魚(まお)と呼ばれていた7歳のとき、この山に登り、仏門に入って衆生を救済したいという願いがかなうならば霊験を現すよう、もしかなわないのであれば我が身を以て諸仏を供養すると念じて、断崖より飛び降りた。すると紫雲が湧き起こって釈迦如来が出現し、天女が真魚を受けとめた。そして釈迦如来は「一生成仏」と告げた。
願いが成就することを告げられた大師は感激し、釈迦如来の姿を刻んで一宇を建立した。この時、
倭斯濃山(わしのやま)我拝師山(がはいしざん)と改められたと伝えられる。

出釈迦寺山門

捨身ケ嶽禅定
 7:39

 【72番曼荼羅寺】善通寺市吉原町

曼荼羅寺は出釈迦寺のすぐ下にある。

曼荼羅持山門 

曼荼羅寺本堂
 8:31



 【74番甲山寺】善通寺市弘田町

甲山寺からは平坦な道を市街地のほうへ歩む。

暑い! あっという間にお茶がなくなっている。

甲山寺 

甲山寺本堂
9:10

9:40



 【75番善通寺】善通寺市善通寺町

さすがに弘法大師空海の誕生所というだけあって観光客が多い。

修学旅行かな?中学生の団体が大勢来ていた。

この寺は境内が非常に大きくて東手に東院(本堂)、西手に西院(大師堂)があった。

善通寺山門 

善通寺本堂
 10:40


善通寺を打ち終えて市街地を歩く。 炎天下でとにかく暑い! 氷屋に飛び込みアイスクリームを注文、物足りなくてビールも注文。
お接待で100円頂く。

今般のこの遍路行、歩き遍路に全く出会わない。 この暑さでは誰も歩く気にならないのかな? 
 11:01
 【76番金倉寺】善通寺市金蔵寺町

金倉寺山門 

金倉寺本堂
 13:19
 【77番道隆寺】香川県仲多度郡多度津町北鴨

道隆寺山門 

道隆寺本堂
 14:53









 道隆寺から次の郷照寺まで約7.6Km。 とにかく暑い!

街のお店の軒先にへたり込んでしまう。 一度座り込むともう立ち上がる気力なし!

しかし、じっとしてるわけにもいかずやむなく歩く。

道の向こうに丸亀城が目に入る。 
心にゆとりがあればちょっとお城見学でも・・・という気になるところだが・・・。

自販機でお茶購入。
ローソンでアイス購入。

丸亀城

 16:37

【78番郷照寺】香川県綾歌郡宇多津町

郷照寺山門 

郷照寺本堂

郷照寺釣鐘

太平洋戦争のとき、日本国内の金属は飛行機や爆弾を造るために集められましたが、
この郷照寺の釣鐘は歴史的な価値があるということで免れ、今日まで宇多津の町を平和の鐘として守ってきました。

17:10
 
郷照寺から町中を進んでいくと「うたんぐら」が目に入った。
ここは善根宿でご夫婦が二人でやっている。 http://www.utangura.com/ すばらしいお宿でした。

「うたんぐら」は夕食なし、のため近所のスーパー「まるなか」へ自転車をお借りして食事の買出しだ。
さしみ、おむすび、すいか、ビール、焼酎で夕食。

今宵の利用客は我々だけだったが、多いときには10人以上泊まるとか。 四国一!サイコウのお宿です。
一泊600円だったが、「最近やむなく1000円にさせてもらった」とのこと。
T氏はそれではいかにも・・・と2000円お支払い。マロも同じく・・・。
本日の歩行数=50,306歩(約24Km)  
3日目(2013.6.15)ーーー【79番】【80番】【81番】【82番】・・・大雨・大嵐ーーー   
 6:10



 「うたんぐら」 スタート。

早朝なのにムンムン蒸し暑い!

天皇寺まで5.9Kmというがものすごく遠くに感じる。

うたんぐら 
 7:45

8:07


 【79番高照院天皇寺】坂出市西庄町天皇

境内は崇徳上皇を祀る白峰宮に隣接し、元は白峰宮の神宮寺であった。

ここでもペットボトルのお茶を一気にグビグビ。

正面には白峰宮 

天皇寺本堂
 9:56







 【80番国分寺】香川県綾歌郡国分寺町国分寺

国分寺を過ぎたあたりから一滴二滴ポツポツと顔に当たりだした。

民家の軒先をお借りしてポンチョを纏う。

そこのおばちゃん「あんたらの足だったらすぐだよ」と励ましてくれたが・・・。

国分寺山門 

雨の中を進む
10:00
~ 
13:30
 上の写真の前方霞んでいる山の向こうを目指す。
山道に入ると雨は本降りになってきた。 

途中東屋があり休憩・昼食。
濡れた着物靴下を着替える。

只でさえ険しい山道なのに雨は豪雨だ。 スッテーン、スッテーン二度も転んだ。
全身ずぶ濡れ。夏でよかった。

進んでいくと見覚えのある「下乗」の石碑。

下乗 
 13:38






ようやく【81番白峰寺】坂出市青梅町に到着。

屋根の雨避けの下、また着替える。 もう、着替えはない。

この寺の横に崇徳天皇陵があるのだが、大雨のため欠礼。

白峰寺山門 

白峰寺本堂

崇徳天皇陵遥拝所

 15:56

白峰寺からまた山道をバック、オレンジパークの三叉路を左に進み【82番根香寺(ねごろじ)】高松市中山町に到着。

根香寺山門

根香寺本堂
 
本堂回廊

説明板 
 「山の中の寺・根香寺」
 根香寺は急坂を上り詰めた青峰山中腹・木立の中の寺です。なぜ、このような険しい山の中に建てられたのでしょう。
奈良時代の仏教は鎮護国家を目標としていましたが、平安時代になろと仏教は、祈りやまじないが実現する不思議な力を得ようと、苦しい修行を重んじるようになりました。そのため、明るく華やかな場所ではなく、人里離れた山の中にお寺を建て、山中を修行の場としたのです。このような仏教のあり方を山岳仏教と言いこのようなお寺を山岳寺院と言います。・・・

 17:00

 山道のところどころに「巡彩庵」という民宿の小さな看板があったので、そこへ電話する。
と、根香寺まで車で迎えに来てくれるという。
また、明日はここまでお送りしますとのこと。 お世話になる。

車で「巡彩庵」に着いて思い出した。 ここはオッ家内と車遍路のときおそばを食べた店だった。
ドボドボの衣類を洗濯。ドボドボの靴には新聞紙を丸めて何度も交換。
本日の歩行数=53,177歩(約30Km)  
4日目(2013.6.16)ーーー【83番】・・・健康ランド泊まりーーー    
 6:50
 巡彩庵から根香寺まで車で送ってもらう。 この車、亭主のベンツ。 

巡彩庵にて 
 7:00








 根香寺をスタート。 

山をドンドン下る。

このあたりは主に松を育てて盆栽を作っている。
中国とか外国に輸出しているとか・・・。

ところどころに枇杷の実が成っている。
ちょいと手を伸ばして失敬。
おいしい! 甘い!

盆栽の苗木 

枇杷の実
 10:45



 次の札所はもうすぐだろうけれどいいタイミングで遍路の休憩所があった。
もう体はクタクタ、ヨレヨレ。

休ませて貰っているとここの持ち主がやってきてお接待。 ミカンやパン菓子。

遍路休憩所 
 10:56
 【83番一宮寺】高松市一宮町 

一宮寺山門 

一宮寺本堂
 


17:06
 今日は昨日とは打って変わっての大炎天。
コンビニ見つけてアイスにビール。

暑い、暑いといいながら二人とも頭が朦朧としていたか?道を間違える。
こんなときは余計疲れる。

「やしま第一健康ランド」(入館料2575円)に泊まる。

今宵は勢力をつけようと焼肉だ。
ビールに焼酎忘れずに・・・。

第一健康ランド
本日の歩行数=53,052歩(約32Km)   
5日目(2013.6.17)ーーー【84番】【85番】【86番】・・・弁天社泊まりーーー   

 6:30

























7:50

健康ランドをスタート。
屋島への本来の遍路道は南のほうから登るのだが、健康ランドが西のほうにあったため我々は北西のほうへ進み、長崎の鼻を左に見て北の登り口から北嶺へ登る。 

その道すがら何人かに道を尋ねると、それぞれまちまちの答えが返ってくる。
山は近くにあれど歩いて登る人は少ないのかな?

標石

長い階段

腰掛松

登り口の標石を認めて安心。 そこから長い長い階段道、背中の荷物が肩に食い込む。ツライ!
勝手に名付けて腰掛松。 次男の嫁(朋ちゃん)がハワイで腰掛けた木に良く似ていたので写真に撮った。
8:20














  山頂近くには岩場あり、苦労の末上り詰めると北嶺展望台。


展望台から

北嶺展望台
展望台から平坦道を進む。
 9:12



9:45















 【84番屋島寺】高松市八島東町

屋島寺山門

屋島寺本堂

蓑山大明神 
 
血の池には睡蓮の花

本堂の右には四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神。子宝、縁結びや家庭円満などの神さま。
源氏の兵が血のついた刀を洗ったという伝説がある「血の池」には睡蓮の花が。
 9:49



10:28
 屋島寺を出て山を下る。かなりの急坂で膝や腿に堪える。

遠方にはこれからすすむ八栗寺が眺められる。

道脇には佐藤義信の墓。

八栗寺の山 

佐藤義信の墓
 11:20

12:00

 腹が減ったところに「山田家うどん」。

ビールを飲んでうどんを食べて一息ついて・・・。

ここのうどんがおいしかった。 お勧めだ。

山田屋
 12:33


 山田屋から登ってくると八栗山のケーブル。

乗客なぞいないので経営が成り立たないだろう。 せめてものご協力をさせて頂く。
片道550円。

ケーブル乗り場

 12:58

13:25
 【85番八栗寺】香川県木田郡牟礼町

八栗寺本堂

八栗寺山門
 15:10












 八栗寺から休み休み歩を進める。
アイス食べ食べお水飲み飲み。

途中、平賀源内の旧邸がある。


平賀 源内(享保13年(1728年)- 安永8年12月18日(1780年1月24日))は、江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。

平賀源内旧邸
 15:47











 【86番志度寺】香川県大川郡志度町

海の向こうはるかには、屋島や五剣山の稜線を望めます。開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹です。海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけられました。その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。

境内で休んでいると庭の工事を差配している人物がやってきて話しかけた。
その人物、実はここの住職だった。
おおよそ、住職とは思えない服装、話し方。

四国では1番古い寺だとか・・・。

志度寺山門
17:30
 志度寺を打ち終え弁天さんの社を探す。

小さな丘の上にあった。

丁寧にお参りとご挨拶をして寝床を作る。

蚊取り線香を燃やす。 アースの噴霧器をプッシュ。

弁天さん 
 本日の歩行数=50,461歩(約26Km)   
6日目(2013.6.18)ーーー【87番】【88番】・・・結願(けちがん)ーーー
 5:30
天神さんに御礼をしてスタート。
途中のコンビニで朝食。 朝の洗顔ほか。 

長尾寺まで一本道を進めばいいと安易に考えていた。 気が付けばどうもおかしい。T氏が早く気付いてくれた。 道を修正して進む。
 7:18

 【87番の奥の院】

道脇には枇杷の実が成っている。 頂戴しながら進む。

87番奥の院 
8:12

8:30
 【87番長尾寺】香川県大川郡長尾西

長尾寺山門

長尾寺本堂
 10:25



11:02
 お遍路交流サロンに着いた。

お茶の接待を受けお菓子の接待を受ける。

ここでは歩き遍路で結願した人に「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」が手渡される。 
マロは以前にも貰ったので今回で2枚目だ。

サロンの前は道の駅。
弁当買って、ビールを飲んで活力つけて、さあ女体征服だ。

遍路大使任命書 

女体山へ 

長い長い山道を登る 

最後の岩場
 14:25
 交流サロンから3時間あまりの登山の末、女体山(774m)を征服した。

いくつになっても女体を征服できるのは感慨だ。

女体山頂上 
15:17













 女体山から一気に下ると【88番大窪寺】香川県大川郡長尾町多和兼割で結願(けちがん)

以前、四国遍路を37日間で廻ったとき、同じように苦労の末話し合った遍路と二人で感激のあまり「うるる」ときたのを思い出す。

多分、T氏もいろいろ思い出しているだろう。


門前の「八十窪」(一泊朝食5000円)で投宿。
門前の食堂で夕食。
女性遍路が一人だけ泊まっていた。 彼女も興奮してか豊岡氏と意気投合していた。

結願の大窪寺
 本日の歩行数=47,068歩(約23Km)  
 7日目(2013.6.19)ーーー帰郷ーーー
 
 当初の予定では大窪寺から10番切幡寺を経由して1番霊山寺へ戻るか、海岸沿いを廻って1番霊山寺へ戻ると考えていたが、また台風が来るとのニュース。
何はともあれ88番で結願出来たことだし、白峰寺の苦労をまた味わいたくもなく協議の末ここで帰ることに決定。
 7:00 八十窪の若奥さんにコミュニティバス乗り場まで送ってもらい、そこからコミュニティバスで志度の高速バス乗り場へ。
 8:20 タイミングよく難波行きのバスが来た(乗車賃3600円) 
 
11:00

なんばOCATに到着。

なんばの地下「赤川屋」で仕上げのカンパイ。 

今般の区切り打ちは7日間だったが、炎天下続きかと思えば白峰の大嵐、足の裏にはマメ、「なんでこんなに苦労して歩くんや!」とぼやきながら歩いた。

過ぎてしまえば懐かしい思い出になるだろう。
 本日の歩行数=11,691歩(約6Km)