四国88ケ所 涅槃の道場 | 表紙に戻る |
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涅槃道場(香川県)最初のお寺(但し所在地は徳島県)。急登を登り標高 911m 、境内の五百羅漢はすごい! |
参拝年月日 | 第66番札所 巨鼇山 雲辺寺 きょごうざん うんぺんじ
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2015(H27).05.26 | H.15.11.26、撮影 |
H.15.11.26、集印 |
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2011(H23).5.2 | |||||
2007(H19).4.14 | |||||
2003(H15).11.26 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
千手観世音菩薩 | 弘法大師 | 真言宗御室派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | はるばると くものほとりの てらにきて つきひをいまは ふもとにぞみる |
延暦8年(789年)弘法大師はこの山に登り、堂宇を建て、大同2年(807年)嵯峨天皇の勅願を奉じ再度入山し、本尊を刻んで納められた。天正年間、長宗我部の兵火に遭い堂塔が消失、久しく荒廃していたところ、阿波藩主の手で再興された。 |
仁王門の金剛力士像は運慶作。 |
参拝年月日 | 第67番札所 小松尾山 大興寺 こまつおざん だいこうじ
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2015(H27).05.27 | H15.11.26、撮影 |
H.15.11.26、集印 |
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2011(H23).5.3 | |||||
2007(H19).4.14 | |||||
2003(H15).11.26 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
薬師如来 | 弘法大師 | 真言宗善通寺派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | うへおきし こまつをでら ながむれば のりのおしへの かぜぞふきぬる |
弘仁13年(822年)嵯峨天皇の勅願を奉じた弘法大師が開創し、本尊の薬師如来を刻んで安置されたのが始まりという。当寺は本堂の左右に真言・天台の大師堂があり、二派によって管理されていた名残り。天正の兵火に遭い堂塔消失、現在の本堂は慶長年間(1599〜1615年)に再建されたものである。石段下の大樟の木は弘法大師のお手植えと伝えられる。 |
琴弾山の中腹。 68番と69番が同じ境内にあり。 |
参拝年月日 | 第68番札所 琴弾山 神恵院 ことひきざん じんねいん
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2015(H27).05.27 | H.15.11.26、撮影 68番・69番共用門 |
H.15.11.26、集印 |
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2011(H23).5.3 | |||||
2007(H19).4.14 | |||||
2003(H15).11.26 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
阿弥陀如来 | 日証上人 | 真言宗大覚寺派 |
伝弘法大師作 | ||
ご詠歌 | ふゑのねも まつふくかぜも ことひくも うたぶもまふも のりのこえごえ |
大宝3年(703年)日証上人が琴弾山山頂に社殿を造り琴弾八幡として祀ったのがはじまりである。大同2年、弘法大師が本地仏の阿弥陀如来を染筆し安置した。 明治初年の神仏分離令により、本地仏の阿弥陀如来が隣接の観音寺境内西金堂に遷座され、札所神恵院となった。四国唯一の一寺二札所。 |
琴弾山の中腹。 68番と69番が同じ境内にあり。 |
参拝年月日 | 第69番札所 七宝山 観音寺 しっぽうざん かんおんじ
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2015(H27).05.27 | H.15.11.26 撮影 68番と共用の山門 |
H13.5.19 集印 |
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2011(H23).5.3 | |||||
2007(H19).4.14 | |||||
2003(H15).11.26 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
観世音菩薩 | 日証上人 | 真言宗大覚寺派 |
ご詠歌 | かんのんの だいひのちから つよければ おもきつみおも ひきあげてたべ |
大宝年間、日証上人によって開創された当時は神宮寺と称していた。 大同2年(807)、当寺の第七代住職となられた弘法大師は聖観世音像を刻み、安置する堂宇を琴弾山中腹に建立したほか堂塔を整備拡充され、寺号を観音寺と改められた。 |
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺だけに五重塔。 |
参拝年月日 | 第70番札所 七宝山 本山寺 しっぽうざん もとやまじ
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2015(H27).05.27 | H.15.11.26 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2013(H25).6.13 | |||||
2011(H23).5.3 | |||||
2007(H19).4.15 | |||||
2003(H15).11.26 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
馬頭観世音菩薩 | 弘法大師 | 真言宗高野派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | もとやまに だれがうえける はななれや はるこそたおれ たむけにぞなる |
大同2年(807)平城天皇の勅願を奉じ、弘法大師が創建した。「一夜建立」の伝説がある。当寺の堂塔は兵火、出火の罹災もなく建立当寺の姿のままで、国宝、重文の多い寺として貴重な存在である。馬頭観音の本尊は88ヵ所中ここだけ。 |
弘法大師は岩屋の窓(明星之窓)からの明かりで、修学に励まれたとか。 |
参拝年月日 | 第71番札所 剣五山 弥谷寺 けんござん いやだにじ
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2015(H27).05.27 | H.15.11.27 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2013(H25).6.13 | |||||
2011(H23).5.3 | |||||
2007(H19).4.15 | |||||
2003(H15).11.27 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
千手観世音菩薩 | 行基菩薩 | 真言宗善光寺派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | あくにんと ゆきつらなんも いやだにじ ただかりそめも よきともぞよき |
天平年間聖武天皇の勅願を奉じ、行基菩薩が創建した。弘法大師「真魚」の幼少期にこの岩窟で学問をしたと伝えられる。 唐から帰国した後、大同2年(807)入山、本尊を刻んで安置、寺名を剣五山弥谷寺と改号された。その後連山の天霧城主香川家没落の際全山焼失したが、慶長年間、生駒讃岐守により再興された。当寺は、弘法大師足跡の多い寺である。 |
西行の「昼寝石」。 |
参拝年月日 | 第72番札所 我排師山 曼荼羅寺 がはいしざん まんだらじ
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2015(H27).05.27 | H.15.11.27 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2013(H25).6.14 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2007(H19).4.15 | |||||
2003(H15).11.27 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
大日如来 | 行基菩薩 | 真言宗善通寺派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | わずかにも まんだらおがむ ひとはただ ふたたびみたび かえらざらまし |
弘法大師の御先祖佐伯家の氏寺として推古4年(596)に建立され世坂寺と号した。 大同2年(807)唐より帰国した弘法大師が3年の歳月をかけ堂塔を建立、両部曼荼羅を安置し奉り、本尊大日如来を勧請して寺号を「曼荼羅寺」と改称された。 |
出釈迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説の一つに「捨身ケ嶽」縁起にゆかりあり。 |
参拝年月日 | 第73番札所 我排師山 出釈迦寺 がはいしざん しゅっしゃかじ
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2015(H27).05.27 | H.15.11.27 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2013(H25).6.14 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2007(H19).4.15 | |||||
2003(H15).11.27 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
釈迦如来 | 弘法大師 | 真言宗御室派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | まよいぬる ろくどうしゅじょう すくわんと とうときやまに いづるしゃかでら |
遍路順打ちの中で、この73番だけは、72番より先に打った方が便利である。 |
この寺の周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだ場所と言われるとか・・・ |
参拝年月日 | 第74番札所 医王山 甲山寺 いおうざん こうやまじ
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2015(H27).05.27 | H.15.11.27 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2013(H25).6.14 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2007(H19).4.15 | |||||
2003(H15).11.27 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
薬師如来 | 弘法大師 | 真言宗善通寺派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | じゅうにしん みかたにもてる いくさには おのれとこころ かぶとやまかな |
弘仁12年(821)嵯峨天皇より満濃池の修築の勅命を受けた弘法大師は、5月に下向し当寺で完成祈願の秘法を修し薬師如来を安置奉った。難工事は弘法大師の指揮監督下に3ヶ月で完成させた。 弘法大師は、朝廷の勅賜金の一部で堂塔を建立、先の薬師如来を本尊として祀り、医王山と命名した。 |
寺名は寺地を寄進した空海の父・佐伯善通の名を取って・・・善通寺と |
参拝年月日 | 第75番札所 五岳山 善通寺 ごがくざん ぜんつうじ
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2013(H25).6.14 | H.15.11.27 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2011(H23).5.2 | |||||
2007(H19).4.15 | |||||
2003(H15).11.27 | |||||
2001(H13).5.19 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
薬師如来 | 弘法大師 | 真言宗善通寺派総本山 |
ご詠歌 | われすまば よもきえはてじ ぜんつうじ ふかきちかいの のりのともしび |
屏風浦五岳山誕生院総本山善通寺と称し真言宗善通寺派の総本山であり、大師自ら建立された真言宗発祥の根本道場である。紀州高野山、京都東寺とともに弘法大師の三大霊跡のひとつである。大師御誕生の地については、海岸寺と善通寺の二説あり。文化13年(1815)8月14日嵯峨御所から御理解書を下されたところによると、「善通寺を誕生所」、「海岸寺を出化初因縁之霊蹟」と命名している。大師御誕生の所は、今の御影堂の地点に当たるといわれている。御影堂の地下に、暗黒の中、89mを壁伝いに歩く「戒壇めぐり」がある。 |
乃木将軍妻返しの松、一見のこと。 |
参拝年月日 | 第76番札所 鶏足山 金倉寺 けいそくざん こんぞうじ
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2001(H13).5.19 | H.15.11.27 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2003(H15).11.27 | |||||
2007(H19).4.15 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2013(H25).6.14 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
薬師如来 | 和平道善 | 天台宗寺門派 |
伝智証大師(大師の姪の子)作 |
ご詠歌 | まことにも しんぶつそうを ひらくれば しんごんかじの ふしぎなりけり |
宝亀元年(774)長者和気道善の開基で、当時は道善寺と号した。 唐から帰国した弘法大師が堂塔を建立した。延長6年(928)醍醐天皇の勅命により現在の号称に変更された。 建武の争乱、永正、天文と続いた兵火に遭いことごとく焼失永らく荒廃。寛永の末期頃になって、讃岐の太守松平頼重公の手によりようやく再興された。 |
境内にはブロンズの観音さんがずらり |
参拝年月日 | 第77番札所 桑多山 道隆寺 くわたざん どうりゅうじ
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2001(H13).5.19 | H.15.11.27 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2003(H15).11.27 | |||||
2007(H19).4.16 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2013(H25).6.14 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
薬師如来 | 和気道隆 | 真言宗醍醐派 |
ご詠歌 | ねがいをば ぶつどうりゅうに いりはてて ぼだいのつきを みまくほしさに |
12百有余年前に、当地の領主和気道隆によって創建され、その名が寺名となった。後年に弘法大師が本尊を刻んで安置された。 |
瀬戸大橋の眺望良し。 |
参拝年月日 | 第78番札所 仏光山 郷照寺 ぶっこうざん ごうしょうじ
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2001(H13).5.19 | H.15.11.28 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2003(H15).11.28 | |||||
2007(H19).4.16 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2013(H25).6.14 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
阿弥陀如来 | 行基菩薩 | 時宗 |
ご詠歌 | おどりはね ねんぶつとなう どうじょうじ ひょうしをそろえ かねをうつなり |
神亀2年(725)行基菩薩が開創、仏光山道場寺と命名した。その後、大同2年(807)弘法大師が堂舎を修復されている。正応元年(1288)一遍上人が逗留して布教活動をすすめ、大衆の支持を得る念仏道場として栄え、時宗に改宗、寺名も郷照寺と改号された。天正の兵火に遭い堂塔は焼失したが、文禄2年(1593)に再興した。 |
崇徳上皇との因縁有り。 |
参拝年月日 | 第79番札所 金華山 高照院 きんかざん こうしょういん
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2001(H13).5.19 | H.15.11.28 撮影 |
H13.5.19 集印 |
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2003(H15).11.28 | |||||
2007(H19).4.16 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2013(H25).6.15 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
十一面観世音菩薩 | 弘法大師 | 真言宗御室派 |
ご詠歌 | じゅうらくの うきよのなかを たずぬべし てんのうさえも さすらいぞある |
寂本「霊場記」には「金花山妙成就寺魔尼珠院」の名で記されている。俗称「崇徳天皇」と呼ばれた。崇徳天皇が崩御され、訃報を京へ奉聞する間、上皇の柩を当寺へ安置したことから「天皇寺」と改号された。真念著「道指南」では札所を「崇徳天皇」と称し、白峰神社が元札所であった。 天正(1573~92)の長曽我部の兵火に罹り全山焼失したが、天和2年(1682)2月に再興している。 明治初年、神仏分離令により、本尊を末寺であった高照院に遷座、札所高照院となった。遍路道としては、順打ちで第80番国分寺に向かう他、従来から一般に、松浦寺を経て、第81番根香寺と打ち国分寺へ降りる道をとる例が多かった。 |
奈良時代の創建当時の遺構・礎石等多数あり。 |
参拝年月日 | 第80番札所 白牛山 國分寺 はくぎゅうざん こくぶんじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.28 撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.28 | |||||
2007(H19).4.16 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2013(H25).6.15 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
千手観世音菩薩 | 行基菩薩 | 古義真言宗御室派別格本山 |
行基菩薩作 |
ご詠歌 | くにをわけ のやまをしのぎ てらでらに まいれるひとを たすけましませ |
天平13年(741)聖武天皇の勅命により、行基菩薩が開創した讃岐の国分寺。 弘仁年間(810~824)には弘法大師が逗留し、本尊を補修されたとなっているが、「霊場記」には大師の作と記している。天正年間、長曽我部の兵火に遭い、本堂と鐘楼を残し焼失した。 |
本堂から少し外れて崇徳天皇陵あり。 |
参拝年月日 | 第81番札所 綾松山 白峯寺 りょうしょうざん しろみねじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.28 撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.28 | |||||
2007(H19).4.17 | |||||
2011(H23).5.1 | |||||
2013(H25).6.15 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
千手観世音菩薩 | 弘法大師 | 真言宗御室派 |
伝智証大師作 |
ご詠歌 | しもさむく つゆしろたえの てらのうち みなをとなうる のりのこえごえ |
弘仁6年(815)弘法大師は白峰山頂に如意宝珠を埋め、閼伽井を掘って衆生済度を祈願された。後貞観2年(860)智証大師の手にかかる千手観世音菩薩が本尊として安置された。 中世、保元の乱に因り讃岐に配流された崇徳上皇の御陵がある。 |
青峰山中腹にあり、鬼牛必見。 |
参拝年月日 | 第82番札所 青峰山 根香寺 あおみねざん ねごろじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.28 撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.28 | |||||
2007(H19).4.17 | |||||
2011(H23).5.2 | |||||
2013(H25).6.15 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
千手観世音菩薩 | 弘法大師 | 天台宗(単立) |
伝智証大師作 |
ご詠歌 | よいのまの たえふるしもの きえぬれば あとこそかねの ごんぎょうのこえ |
弘仁年間に、弘法大師が華蔵院を創建、天長9年(832)智証大師が千手院を創建、この2院を総称して根香寺と号した。この寺も度々の兵火で荒廃久しかったが、高松藩主松平頼重によって今日の姿に復興されている。 |
本堂左手に薬師如来が祀られる小さな祠、これが「地獄の釡」 |
参拝年月日 | 第83番札所 神豪山 一宮寺 しんごうざん いちのみやじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.29 撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.29 | |||||
2007(H19).4.18 | |||||
2011(H23).5.1 | |||||
2013(H25).6.16 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
聖観世音菩薩 | 義渕僧正 | 真言宗御室派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | さぬきいちのみやの みまえにあおぎきて かみのこころを たれかしらゆう |
大宝年間(701~4)に、義渕僧正によって創建、一国一社の勅命を奉じた行基菩薩が讃岐一の宮の田村神社を建立、寺はその別当となって神豪山一宮寺と称した。 大同年間(806~10)弘法大師が聖観世音菩薩を刻んで本尊として安置、朽廃の堂塔を補修整備して再興させた。 天正年間、長曽我部の兵火に遭い焼失したが、宥勢大徳によって復興現在に至る。 延宝7年(1679)高松初代藩主松平頼重により別当職を解かれ、独立寺となった。 |
源平合戦に関わる豊富な古い宝物あり。 |
参拝年月日 | 第84番札所 南面山 屋島寺 なんめんざん やしまじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.29 雨の中で撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.29 | |||||
2007(H19).4.18 | |||||
2011(H23).5.1 | |||||
2013(H25).6.17 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
十一面千手観世音菩薩 | 鑑真和上 | 真言宗御室派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | あずさゆみ やしまのみやに もうでつつ いのりをかけて いさむもののふ |
天平勝宝6年(754)朝廷に招かれた鑑真和上が唐を発ち来日、奈良に向かう途中この地を訪れ、山頂北嶺に霊場を開創せられ、その後和上の弟子恵雲師が堂宇を建立した。 弘仁6年(815)には、弘法大師が伽藍を現在の位置に移し、本尊を安置された。 |
標高 375m 五剣山8合目にあり、ケーブルもあり。 |
参拝年月日 | 第85番札所 五剣山 八栗寺 ごけんざん やくりじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.29 撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.29 | |||||
2007(H19).4.18 | |||||
2011(H23).5.1 | |||||
2013(H25).6.17 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
聖観世音菩薩 | 弘法大師 | 真言宗大覚寺派 |
ご詠歌 | ぼんのうを むねのちかにて やくりをば しゅぎょうしゃならで たれかしるべき |
天長6年(827)の創建である。 天正年間に長曽我部の兵火に遭い堂塔が全焼、荒廃久しきところ、寛永19年(1642)高松藩主)松平頼重公により本堂が再建された。 |
「海女の玉取り伝説」予備知識をもって参拝しては・・・? |
参拝年月日 | 第86番札所 補陀落山 志度寺 ふだらくざん しどじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.30 撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.30 | |||||
2007(H19).4.18 | |||||
2011(H23).5.1 | |||||
2013(H25).6.17 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
十一面観世音菩薩 | 藤原不比等 | 真言宗善通寺派 |
ご詠歌 | いざさらば こよいはここに しどのてら いのりのこえを みみにふれつつ |
伝説豊かな古刹である。天武天皇の御代に大臣藤原不比等が建立したと伝えられる。 現在の堂宇は寛永7年(1667)松平頼重公の改築したもの。 |
山門には大きなワラジ。 |
参拝年月日 | 第87番札所 補陀落山 長尾寺 ふだらくざん ながおじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.30 撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.30 | |||||
2007(H19).4.19 | |||||
2011(H23).5.1 | |||||
2013(H25).6.18 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
聖観世音菩薩 | 行基菩薩 | 天台宗 |
ご詠歌 | あしびきの やまどりのおの ながおでら あきのよすがら みなをとなえよ |
天平11年(739)行基菩薩一宇を建て本尊を奉安。その後、弘法大師が、一字一石の供養塔を建立し護摩秘法を修した。天和元年(1681)藩主松平頼重公は堂塔田畑を寄進、天台宗に改宗した。 |
最後のお寺!「結願寺」。 女体山からの参拝がお遍路最後の苦行。 |
参拝年月日 | 第88番札所 医王山 大窪寺 いおうざん おおくぼじ
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2001(H13).5.20 | H.15.11.30 撮影 |
H13.5.20 集印 |
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2003(H15).11.30 | |||||
2007(H19).4.19 | |||||
2011(H23).5.1 | |||||
2013(H25).6.18 |
本尊 | 開基 | 宗派 |
薬師如来 | 行基菩薩 | 真言宗大覚寺派 |
伝弘法大師作 |
ご詠歌 | なむやくし しょびょうなかれと ねがいつつ まいれるひとは おおくぼのてら |
元正天皇勅願寺である。弘法大師は唐より帰朝後、この智に堂宇を建て、本尊を刻んで安置された。本堂前石の宝杖堂は、大師が錫杖を納められたところと伝えられる。第1番より打ち始めて第88番札所、宿願成り「結願寺」という。 |
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