以前から計画していた四国の番外霊場をWAKEで車へんろだ。 たまたま?先日義母(オッ家内の母)が101才で亡くなった。 その冥福も合わせて祈ろう。 空海は四国に、八十八箇所のほかにも数多くの足跡を残されていて、それらは番外霊場として人々の信仰を集めてきた。 それらの番外霊場のうち20の寺院が集まって、1968年(昭和43年)に霊場として創設されたものが四国別格二十霊場である。 四国八十八箇所に四国別格二十霊場を加えると百八となり、人間の百八煩悩と同じになることから「煩悩を滅するのもよし」と、 この霊場を四国八十八箇所と合わせて参拝することを薦めている。 |
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2016/7/13(水) | |||||||||||||||
6:30 | 自宅スタート。 尼崎あたりから激しい雨になった。 ワイパーを作動させ“四国は大丈夫だろうか?”と不安になりながら進む。 長崎では50年に一度の大雨が降っているという。 |
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10:30 | 霊山寺では雨は降っていない。別格用の納経帳とお札を求める。
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11:30 |
霊山寺から少し離れた山の上に大山寺はあった。 山門ではかなりの年季を感じたよ。なんだか圧倒されたよ。 仁王さんの玉眼が抜け落ちている。 住職に「随分、年代を感じる仁王さんですがいつの時代でどなたの作ですか?」と尋ねたら 「さあ? 修復せんといけませんね」とのこと。・・・個人的にはこのまま残して欲しい気持ち。
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大山寺から16Km 程はなれた石井町の童学寺。 弘法大師が16才のとき当寺に逗留、「いろは48文字」もこの寺で創作したという。
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14:45 〜 16:00 |
童学寺から約45Km離れた慈眼寺は20番鶴林寺の奥の院。 遍路ころがしの鶴林寺の奥の院と言うだけあって、とにかく山の上だ。 途中、落差70mという灌頂ケ滝に見とれる。
弘法大師19才の修行中、夢の中で霊示を受け発見されたという鍾乳洞。
両手をバンザイしたり、這いつくばったり、ヒザで歩いたり、頭をガンガン打ち付けたり、カニ歩きしたりの約100m。 カメラなぞ写している余裕はなかったね。 この先達さん、さすが見事! 足の置き所、手のやりどころ、こと細かく教えてくれた。 この教えがなく一人で入ったなら、もう身動きがとれずに死んでいたか! ありがとうございました。 先達さんいわく「あなたは若い! 普通は1時間半以上かかるのにあなたは40分だった」と。 |
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山から下りてきて今日は薬王寺・日和佐で泊まる。 駐車場の隅のほうで外人遍路がテントを設営していた。 男性はチェコ人、女性はドイツ人。 変なカップルと思ったが、語力がないため聞けなかった。 「2ヶ月の休暇があるのでゆっくり廻るつもりだ。7月5日に1番霊山寺からスタートした」と言っていた。
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2016/7/14(木) | |||||||||||||||
4:30 〜 7:35 |
起床して日和佐海岸を散歩する。 犬を散歩させているオジサンに話しかけると 「今年のウミガメは少ない!まだ7頭しか来ていない!」と。
海岸の散歩の後、薬王寺に参拝する。
“ ワタクシ後期高齢、関係がないようです。 このお寺でも一人の男性・外人へんろがいた。 話しかけたら「イギリスから来ました。40日で廻る予定だ」と英語で答えてくれた。 |
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鯖を三年間絶ってご祈念すると願い事がかない、病気がなおり、幸福になれる と いつしか人々に、鯖大師、鯖大師と呼ばれてるようになったとか・・・。
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10:40 | ここ室戸岬の洞窟で弘法大師は修行したという。 目の前は空と海、空と海が一体となり襲いかかり艱難辛苦の末「空海」を得たという。
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11:20 | 室戸岬から土佐湾側に西へ進むと道の駅「キラメッセ」がある。 ここでは絶対クジラの刺身が食べたいね。
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15:08 | キラメッセから奈半利町〜安芸市〜高知市〜土佐市を過ぎ須崎市に入ると
本堂前境内よりのながめは「土佐の親知らず」を眼下に一望でき、 「二つ石の上でお大師様」がみなさまの幸せをとこしえに御祈願されている。
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18:00 | 須崎市の大善寺の後、四万十町〜土佐清水市・足摺岬〜宿毛市〜宇和島市と来て 道の駅「きさいや広場」 道の駅の案内係りの人に「佐田岬までどれくらいですか?」と尋ねると 「かなり遠いですよ」というので 今日はここでしっかりお酒を頂き、おやすみなさい。 |
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2016/7/15(金) | |||||||||||||||
4:15 | 目覚めて宇和北高速〜三間〜西予〜八幡浜〜伊方町
悔しいけどこの先道を間違えて三崎漁港まで下りてしまった。 地の人に尋ねたらこんな一本道で間違えるなんて〜と笑われた。 又来た道を取って返し、佐田岬を目指す。 佐田岬 日本一細長い佐田岬半島先端の岸壁にそびえ立つ白亜の灯台。 四国の最西端にあって、晴れた日には豊予海峡を隔てた九州を遠望できる。 先端までは駐車場から20分程度の距離であり、大自然に囲まれた遊歩道は、 木漏れ日を浴びながら樹生林を抜け、潮風を受けながら青い海を眼下に見下ろすことができる。
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11:15 |
境内には芭蕉の句碑がある。 「父母の志き里に恋し稚児の葦」芭蕉 |
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11:33 | 宇和島駅を車内から撮影 |
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14:00 |
まあ、なんとなんと!すごい坂道、雲がかかっている。 アジサイが見事だなあ〜
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807年、弘法大師がこの地を通られた際一夜の宿を求めて廻った。 宿を貸してくれるところなく、寒き中橋の下で野宿したが、余りの寒さに一夜が十夜にもまさる思いであったという。 そのゆえ杖の音で眠気を妨げてはならないとの心遣いから へんろの戒めとして「橋の上では杖を突かない」慣わしとなったという。
住職さんに「龍性寺」の在処を尋ねる。 龍性寺の叶義啓氏はその昔、歩き遍路でご一緒した仲だ。 懐かしく思い突然だが訪ねることにした。 |
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16:00 |
龍性寺
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17:00 | 龍性寺の大洲市から内子町へ移動して、道の駅「からり」。 |
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2016/7/16(土) | |||||||||||||||
6:00 | 5時起床、内子町から道後温泉へ行く。 早朝なのにさすが道後! 大勢の温泉客だ。
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8:00 | 道後温泉にゆっくり浸かって、
遍路の元祖といわれる衛門三郎の菩提寺。
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9:30 | 松山市の文殊院から西条市の興隆寺。
シンドイ坂道、フーフー言いながら登る石段! やれやれと思ったら、目の前に又石段。 納経所で「すごい石段ですね」と言ったら、「300段です。無心で登ると悟ったような気持ちになるでしょう」と。 山門は工事中だった。
勅使門には弘法大師の直筆と伝わる「西山精舎」の扁額があるらしいが見えなかった。
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10:20 |
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12:07 | 西条市からところ変わって四国中央市の
いざり(差別用語?)が立ったいざり松で有名。 ここの住職さん、「宝山寺にはよく行くよ」と。「講」を連れて行くらしい。
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14:00 |
13:25 駐車場に車を置いて石段を登る。 三角寺の奥の院だったのが江戸時代に独立した(格上げ?)。
女人禁制の時代の「女人高野」として慕われたという。 |
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15:00 |
地中に立てた杖から椿の芽が出たという。
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16:10 |
椿堂から一旦徳島県三好市に出て徳島側から登る。 この山も凄かった! 山道、坂道、ゴロ石道! 怖かったあ〜〜! 天長五年弘法大師が四国巡錫の砌、この山に金毘羅神の御神託をお受けになり、 御本尊を刻まれて奉安し当寺を開創される。 以来千有余年の法灯を継ぎ「金毘羅奥の院」として金毘羅信仰の中心をなしている。
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18:50 | 道の駅、 瀬戸大橋記念公園。 ↑ 瀬戸大橋 |
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2016/7/17(日) | |||||||||||||||
7:10 | 今まで順打ちで来たが、最後の今日だけ順不同となり、先ず香西寺から
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9:40 | 高松市の香西寺から大窪寺の奥の院の大滝寺へ向かう。 いやあ〜〜、ここも参りましたね! 山道、細道、ゴロ道、ナビは全く言うこと聞かない、心細くなってくる。 途中、キャンプ場があり道を尋ねても誰も知らない。 山の中は霧の中、雲の中、5m 先が全く見えない。 キャンプ場の管理人さんに電話を掛けて道を教えてもらった。 寺にたどり着くと、別のルートから来た一人旅のご婦人が「どうして来ました? 怖かったですね」と。
四国八十八ヶ所の奥の院だと住職が威張っていた。 |
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11:35 | 美馬市の大滝寺から山を降りて、まんのう町の神野寺へ。
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12:40 |
寺名の通り萩の名所。 時期が来ると境内はハギだらけになろう。
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15:00 | 最後は高松市に出て海岸寺、名前の通り多度津の海のそばだ。
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これで、別格20霊場(四国番外)を打ち切った。 海岸寺の住職さんに慈眼寺鍾乳洞の穴禅定のこととか、大瀧山の大変なこととかお話したら 逆に涙ぐんでくれた。
四国八十八ヶ所(本四国)に対し、別格と言うだけあって脇役的存在だが・・・ それだけに○○寺奥の院とかで山の奥の厳しい山寺が多かった。 歩き遍路だったら音を上げていたのではなかろうか? 厳しいほど霊験があったのかな?
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